書物蔵

古本オモシロガリズム

「〔事〕前の違法差押え」

ところが、ところがである。敵もさるもので、雑誌がまだ体をなさない前の製本屋さがしなどもやり出し、一度などはごっぞりトラックにつんだばかりの『戦旗』が大取次店にはこぶ途中、街上でごっそり差押えられたこともあった。検閲前の違法差押えである。
山田清三郎「プロレタリア文化の青春像--今は亡き,そして現存のあの人,この人のことども-22-」『民主文学』(198)=(248)pp.168〜177(1982-05)引用はp.174

「山田 清三郎(やまだ せいざぶろう、1896年6月16日 - 1987年9月30日)は、日本の小説家、評論家」とウィキペにある。プロ文学雑誌『戦旗』を発行していた時代の回顧談。やはり納本制度の運用実態を調べるには、極端本の当事者の証言は欠かせぬ。
上記の記述でオモシロなのは、「〔事〕前の違法差押え」という表現。新聞紙法に依拠した雑誌は、発行日当日が法定義務納本日で、その同日(即日)でしか発禁命令は出せないはずなのに、発行日以前の製本中や搬入中のものまで差押えをしちゃふ、という事実があったのはわりと有名なんだけど、ちゃんと、それは違法だと認識していた人がいたという重要なh証言ですな。
もちろん、「〔事〕前の違法差押え」という「違法」が生じちゃふのは、発行日まへに雑誌内容の検閲読書が警視庁・内務省によって行はれちゃふから。

2日まへ納本といふ実定法にない行い

ん?(・ω・。) 新聞紙法の雑誌は発行当日に納本すりゃあいーんぢゃないの、っちゅーのは、半可通。ってーか、そりゃあ単なる法文解釈学派。しかして実態は、といへば。

納本というのは、新聞紙法による定期刊行物――『戦旗』は新聞紙法にしたがって発行されていた――は、全国を通して内務省警保局図書課、それに東京で発行されるものは東京地方裁判所検察局、警視庁検閲係に各二部づつ発行日二日前までに「印刷納本」をしなければならなかった。
山田清三郎、前掲、p.174

と、2日前までに「「印刷納本」しなければならなかった」とあるが、法文にはこうかいてあるだけだし、

第十一条 新聞紙ハ発行ト同時ニ内務省ニ二部、管轄地方官庁、地方裁判所検事局及区裁判所検事局ニ各一部ヲ治ムヘシ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951106/1

当時のコンメンタールにも法文と同じことが書いてある(例えば『改正出版法並新聞紙法の実際智識』)。
戦旗』現物の奥付をつらつら見るに、律儀に――少なくとも印刷版面では――2日まへ6/1発行なら5/30印刷とか書いてあるので山田清三郎の回想どほりで、ほかの雑誌でも発行日2日まへの印刷日にしていたものがあったな。
してみると、可能性としては。
・警視庁が法文とべつに勝手に行政指導で2日前納本を指示していた。
内務省が 以下同じ
・出版業者の慣例(上記の指導がきっかけの慣例である可能性も)
のどれかであらう。

「印刷納本」といふ4文字語

日本漢語のむつかしさ。印刷納本は、印刷、納本のただの並列なのだらうけれど、上記山田の記述に明らかなごとく「印刷納本」とフレーズ化していた可能性大。
浅岡先生が千代田の講演で、印刷日とは事実上、納本日と解釈してよいぐらいのことを言ってゐたけれど、これこのやうに、実際に雑誌表紙(裏表紙)の法定文字や奥付に「印刷納本」と刷り込まれているものがあるといふことは、浅岡示唆を補強する。
で、この「印刷納本」という4文字語がいつごろからあったのか、軽くググると(この事例ではgoogle booksでなくただのググりのほうがよい)、大正2年の例が初期の例である。