書物蔵

古本オモシロガリズム

切抜通信社のこと

1910年の認識

日々発刊せらるるゝ多数の新聞紙を蒐集し、其一項若くは数項の記事を切抜きこれを申込者に宗達すること。(略)
この種の事業は欧米諸国には既に行はれたるも、我国に於ては、明治二十一年西宮熊次郎の創立に係る時事通信社が兼業として切抜通信事務を開始せるを以て嚆矢とす。其後二十三四年頃に至り、日本切抜通信社・公報社・應需通信社等専門の切抜通信社起り、三十六年には帝国新聞切抜通信社起りしも、幾くもなくみな前後して解散し、日本切抜通信社のみ其事業を経営せしが、後、電報通信社に買収せられ、今日は唯、其名を存するのみなり。これより先、時事通信社の兼業たりし切抜通信は分離して東京切抜通信社と称し、現今我国に於て独立を以て切抜通信を行へるは唯ゝ此会社あるのみ。今其の取扱ふ事項は、農業・工業・商業・政治・教育・宗教・交通・運輸・人事・演芸・雑事其他新聞紙面に記載しあるすべての事項にして、其手数料は各事項に従ひ一箇月金二円、一円五十銭等とす。
三省堂編輯所 編. 日本百科大辞典. v3. 三省堂書店, 明治43.3 p.301

  • 編集小僧「スクラップ、ブック(彙報)」『平和』1(12)pp.21-22(1910.12) 「大中小と三色あって、大が一円、中が五十銭、小が三十五銭」「台紙が百枚ある」「四段の紙」彙報欄を担当になり、新聞切抜きを貼る台帳を買いに行った話。

1900年前後の新聞切抜きブーム

「知人某医師は、十七歳のときから三十年間新聞の切抜きをつづけ」(p.10)
「新聞記事のスクラップを始めて二十余年になる」(p.104)