書物蔵

古本オモシロガリズム

質を測るっち!`・ω・´)o でもメジャーがない…(´・ω・`)

インデクシングの実務

むかーし、現役のころ、indexingの実務をしていたことがあったが、1日中indexingをしていても、出来高は最大で40冊ぐらいであった。もちろん、事実上indexingとはいへない小説本ばかりなら、913.6か、933.7をつけるだけだから、200冊*1ぐらいはできるんだけれど。
でも、ジャンル不問で(0類から9類まですべての知識ジャンルで)indexをやるとなると、そのうちの2割はちょっと難しい主題で、さらにほんの数パーセントはとっても難しい主題だったりもする。たとえば、まへの『序文検索』のように、この世で(少なくとも日本で)まったく始めての主題の本が、100冊のうち1冊あったりする。
で。
それをやるのにどーしても時間がある程度かかってしまう。

コリーグに聞いた㌧でも生産法

2割がちょっと難しい、としたが、逆にいへば8割が、小説本のように何も考えなくとも付与できるか、類似か先行事例があるから、それと同じ標目を振ればよいということになる(逆にいへばまったく初めての主題の本なんて、そうそうあるわけない)。
そのころ、なんとか一日50冊ぐらいはしたいとがんばったことがあったけど、どーしても、数パーセントの新規主題の可能性を考えつつやらねばならんので、でけんかった。
ところが、そんななかでやすやすとそれぐらいやっちゃうコリーグがをった。
大変にとってもスゴーク不思議だったので、いったいどーゆー理屈で達成できるのか聞いたことがある。そしたらこう言った。

(既存データの)似てるものに寄せていけ、と習ったのでそうしているだけ

それを聞いたとき、「あららー(×o×)」と思ったことである。
この伝でいけば、ありとあらゆる新主題の本は、(分類空間上で)この世に存在しない(出現しない)ことになっちゃうよ(・∀・`;)
でも、きはめてコーリツがいい。超いい。だって、新しいこと(前例のない主題を発見したり、それを、使用されていない分類項目にあてはめてみること)を100冊のうち1冊もしなくていーんだから(それにひきかへ、わちきは100冊あったら100冊、その可能性をチラと考えてしまっていた)。
ものすごーくコーリツがいい。すばらしすぃいいー!!!チラ、とも考えもつかなかったですぞヨわちきには(σ^〜^)

書誌データの質を測るメジャーがない

これで話は終わらんのよショモツグラは。ここで終わっちゃあ、ただのクサレ通俗道徳といふか、「サラリーマンこれが常識」のたぐひになってしまふ。続きがあるんよ。
さらに、このオドロキを当時の管理者スジに話したらなんて言ったと思う?

そりゃあ分かった(理解はした)ケド、それでも、数を上げてくれるから、S女史のほうが有難い

なーるへそ(・∀・`;)
そこでわちきが考えたのはこーゆーこと(*´д`)ノ

昔は職人気質とか、古い日本人の内的倫理によって自立的に最低限の品質管理ができていたけれど、それにかわる何かを作らないと、安かろう悪かろうに堕していくなぁ。

いまは職人も消えたのだろうか、全般的に質の低下をまねいているようである。実際わちから見ると、たとえば国会の分類とか、オシャカをたくさん出していると思うよ。その点、TRCのほうは従来とあまりかわらん印象*2。雑駁な管理側は、数パーセントのオシャカはいーじゃん、とすぐ思うけど、問題は自動車と書誌データは商品としてぜんぜん異なるということなんだよなぁ。オシャカの自動車はさしかえて新車を差し出せばユーザは納得するだろうけれど、オシャカ書誌を廃棄は、できないでしょ。
国会さんの管理部門は典拠システムを整備とるらしーが、そりゃあジグを整備することでしかなく、完成製品の品質チェックではぜんぜんないんだよなー。品質向上にはならんのだわさ。
最近、つくばの辻慶太先生らが、個々のレファレンス回答の正答率をQ&Aサイトと比較し、たいしてかわらんといってるけど、個々の回答なんてーのは質問者本人が出すのが本スジなのだから測る意味はあんまない。そんなことよりも、館界が責任をもって生産するはずになってをる個々の書誌データの品質を測るほうが10倍意義ぶかい。

でも、クレームがないからメジャーも作られない

クルマはユーザがいるから、変なクルマをあてがわれたユーザは怒ってクレームをつけてくる。工員の自己満足だけでクルマは作られているわけではない。
だから、日本の書誌データをよくするには、本質的にはユーザからのクレームが必要なんだけれど、残念ながら、「書誌記述」部分はともかく、標目部分がほとんど使われとらんからなーぁ(*゜-゜)
昨今、猫猫先生が著者標目のクレイム魔となっているらしいことが、『翻訳家101』あとがきから判明したが、あれは実は有難いこと。ヴォランティーアによる品質チェックになっている側面がある。先生は実際、著者標目を使用してをるのだらう。
まづは、件名標目の使用を普及さすとこから始めるべきではあるまいか。

*1:一人一日の出来高については、作業体制によりさまざまに想定されうる。この時は記述・著者標目と主題標目は違う担当であった。LCでもいろいろ変えてたみたいだ。また、個人単位での出来高を測ることは、ものすごーく簡単だけど、質を測る技術がないうちは、個人出来高を明示するのはやめたほうがよい。理由はこのエントリ自体にある。主題標目付与に不得意な人間は、安易に量を増大させるか、逆に数が少ないかで自然と判明する。

*2:某氏いはく「いま、日本でいちばんマジメにデータを作ってるのではないか」。職人的な品質管理をしとるのかのー。でもわちきは、少なくとも件名に関しては特定記入の原則に反する慣例(とくに第1件名について)を持ってをるらしいので、質ではなく方向性に留保をつけたいところ。これについては、司書課程の先生さま方やら、国内「専門家」やらが件名の基本コンセプトを誤解しとる件につき、別エントリが必要だろう。