書物蔵

古本オモシロガリズム

金沢市武蔵が辻と本邦雑誌索引事業の因縁

最近、ギョーカイの流行りコトバに「MLA(えむ・える・えい)」といふものがあるらすぃーが(海外ではALM(あるむ)とぞ)。
天地の別れし始め、ってか、近代の初め、博物館、図書館、文書館はそもそも不分明のものであった。
ところで、最近、国会サンが戦前期「雑誌記事索引」を開発したの、知ってた?(σ^〜^)
いちど、皓星社の戦前期雑索にからんでクサしたことがあったけれど、それはともかく、記事索引は調べ物をする上で必須のもの。日本ではなかなか索引事業はうまくいかなかったんだけれども、ぢゃあ、戦前からぜんぜんなかったのかといえば、そうでもない。だとすれば、最初に日本でやったのは誰?という疑問がわくのは理の当然。

金沢に武蔵が辻あり…

きのふのリブロ古書市で、ここ5,6年さがしていた稀書を得た

  • 金沢武蔵家おぼえ書 / 中村春江. -- 〔中村春江〕, 1979.4 ※所蔵:国会、石川県立、金沢市立、七尾市立ぐらい。大学系には見当たらず 古書英二1200円

これ、さがしてたんだよー。しかし売ってるの初めて見た。まぁ、一般的価値としては、金沢市郷土史としてのものしかないからねぇ(゚〜゚ )
しかし…
わちきは知ってをったのダ、これこそ、

日本で始めて記事索引を作った人の伝記である

といふことを!`・ω・´)o
ちなみに、金沢市の中心地にある「武蔵が辻」は、この武蔵家にちなんでつけられた地名とか。

石山洋氏に教えられた稲村てっちゃんにおしへられ

時は昭和元禄さめやらぬ、場所は東ケイなる永田町、ころあいもよし暖かくなりつつあるころ、昭和40年の春のことぢゃった…。あたかもよし書痴が二人、なにやら古本をまへに書物談義の真っ最中…
かの斎藤昌三の弟子、稲村徹元のもとへ、日頃、「畏友」と呼ぶ友人、石山洋がやってきて、1冊の本をしめしたのであった。

コレってちょっと変わってるネ。日本の雑誌索引事業の歴史で、どんなもんだろう。ひとつ、研究してみてヨ(  ̄▽ ̄)b

てっちゃん、

ムム、こりは日本で最初の雑索ではあるまいか!`・ω・´)o

と、その時思ったかわからんが、はたして、そうであったのぢゃ。
『勧業諸報標目』と題されたそれはまさしく、いまでいふ雑誌記事索引であり、巻頭には「武蔵規一郎編輯」とあったとぞ。
にゃんと、日本で最初の雑索は、博物館が出したものであったのだ(*´д`)ノ

博物館の武蔵きいちろう

この武蔵規一郎の名の上に、アメリカにおける雑誌索引事業の先駆者W. F. Pooleのごときイメージを重さね、司書のパイオニアとしていささかの探索を試みたが…

まさしく、
そして最初に国会図書館のPR誌に短報をかいて(のち、『稀本あれこれ』p.284-285に転載)、さらに

  • 「石川県勧業博物館『勧業諸報標目』考」『圖書館と出版文化 : 彌吉光長先生喜寿記念論文集』弥吉光長先生喜寿記念会, 1977  p.19-34

をあらはしたのであったのぢゃ。
これを読むと、稲てっちゃんが1970年代に「標目」を再評価するまでは、太田為三郎の『日本医事雑誌索引』を近代日本雑索の嚆矢とするのが定説であったそうな。
で、てっちゃんは「幸いにして旧帝国図書館以来の蔵書中に伝襲され来たった本書三冊を手にすることが出来たのを機に、分析書誌的に記述したのであった。

明治22年のビジネス支援

てっちゃんは周辺資料もひろってをって(ってかわざわざきちんと金沢に行ったとある)、いま石川県立と一ツ橋大学にしかない『勧業博物館二十年略記』(写 明治27年序)につぎの記事をめっけた。

同二十二年農工商ニ係ル報告書中各事項ヲ摘集シ票目ヲ編輯シ之ヲ勧業諸報票目ト名ツク印刷シテ各府県庁並ニ県下各町村役場ヘ頒付シテ現業家ノ便ヲ謀レリ其要則左ノ如シ

明治22年、産業に関する定期刊行物の各記事の情報を集めて、リストを編集した。そしてそれを「勧業諸報票目」と題して印刷し、全国各府県庁や石川県内の町村へ配った。これは産業関係者を支援するのが目的で…」ということですな。
ほへへー(*ω*;)´´である(`・ω・´)ゝシュピ だって…

にゃんとΣ(゜∀゜;) 日本図書館のビジネス支援は1889年からぢゃないの!!!(">ω<)っ))

なーんてね(σ^〜^)
日本図書館のビジネス支援は石川県勧業博物館(図書室)が明治22年に始めたのが最初なのかぁあ(*゜-゜)
これはどこにも書いてなかったことですよ(≧∇≦)ノ
とかとか…
てっちゃんの研究を読んでみたら、もっとすごいことが、わかったですよ…

2年遡る???

いま、国会OPACを引くと、まさしく稲てっちゃんが手にした三冊の書誌がある。

勧業諸報標目. 第〔1〕編 / 石川県勧業博物館. -- 有隣堂, 明24.9
勧業諸報標目. 第〔3〕,5編. -- 石川県内務部, 明26,28

稲てっちゃん自身、1977年段階で、関西大や内閣文庫にM24のがあることを確認しているんだけれど、ここで問題なのは、実際にはいつ初編が出たのかということ。てっちゃんは論文で、3冊目に「第五輯」の題箋が貼られており、「旧帝国図書館以来の函(書)架目録を見てもこの三冊以外の記載を見出すことができない」としている。そして、1977年当時確認しえた最古のM24刊行のものを、「初刊」としている。
おそらく、上記書誌記述の第〔1〕編、第〔3〕,5編は、このてっちゃんの意見もそこはかとなく反映されて、〔1〕、〔3〕と補記されたのであらう。
つまり、てっちゃんおよびその反映とおぼゆカタロガーの判断はこーゆーことである。

事項
明治24 1891 勧業諸報標目 / 石川県勧業博物館編 ; 第[1]編. -- 東京 : 有隣堂, 1891.9. -- 442p ; 22cm ※所蔵:国会 早大など 近デジを見ると緒言、稟告はあるが、序はない。1909年に復刻されている。
明治25 1892 失われたか、もとから出なかった第[2]編の年
明治26 1893 勧業諸報標目. 第[3]編. -- 石川県内務部, 明26. -- 76p ; 20cm 国会 内閣
明治27 1894 失われたか、もとから出なかった第[4]編の年
明治28 1895 勧業諸報標目. 第5編. -- 石川県内務部, 明28. -- 72p ; 20cm 国会のみ?

きちんと、年の間隔があうね。
で、てっちゃんも論文の追記でこんなことを書いている。

追記:明治二十八年刊を<第五輯>とするのは『二十年略記』に「爾来年々編纂シ本年」とあるように、初刊の二十四年から起算したことによるのであろう

と。
つまり、昭和52年のてっちゃんが見られた最古のものは明治24年刊であったし、一方で、明確に「第5輯」である3冊目は明治28年刊行だ。そして「二十年略記」には「年々編纂」とあるから、毎年出したのだろう。うん、わかった、M24を1とせば、M28は5にならん、と結論づけたのであーる(=^・ω・^)ゞ
ところがである。
見つけちゃったのだ、変なものを。
それが、これ

勧業諸報標目. -- [出版地不明] : [出版者不明], 1889.3序. -- 557p ; 20cm. -- Note : 編輯:武蔵規一郎 ※早大のみ所蔵?

ん?(・ω・。) 年代があわんよ。それに… ページ数もあわない。これは… なに???
と、あわてたら、てっちゃんの読みにスキをみつけちった。
だって、「明治22年、産業に関する定期刊行物の各記事の情報を集めて、リストを編集した」ってあるでしょ。ちゃんと、編集は明治22年だと書いてある。そしてまさしくこの変なものの序は明治22年
つまりこうなる。

事項
明治22 1889 勧業諸報標目. -- [出版地不明] : [出版者不明], 1889.3序. -- 557p ; 20cm. -- Note : 編輯:武蔵規一郎 ※早大のみ所蔵?
明治25 1890 -
明治24 1891 勧業諸報標目 / 石川県勧業博物館編 ; 第[?]編. -- 東京 : 有隣堂, 1891.9. -- 442p ; 22cm ※所蔵:国会 早大など 近デジを見ると緒言、稟告はあるが、序はない。1909年に復刻されている。
明治25 1892 -
明治26 1893 勧業諸報標目. 第[?]編. -- 石川県内務部, 明26. -- 76p ; 20cm 国会 内閣
明治27 1894 -
明治28 1895 勧業諸報標目. 第5編. -- 石川県内務部, 明28. -- 72p ; 20cm 国会のみ?

ということで、唯一ともいふべきこの本についての論文につっこみどこを見つけてしまったのであった ( ^ - ^ ; )
また、明治28(1895)年に、つぎの「票目」が出版されているのも、巻号表示の配当の見直しをつよく示唆する。

  • 絵本画譜及画説等票目 / 石川県勧業博物館編 . -- 石川県勧業博物館 , 1895.2 ※石川県立

この「票目」をいれれば、5輯の「標目」本がそろってしまふ。。。
いずれにせよ、なお考究すへし!

追記

じつは2009年に一度注文していたことを忘れていた、というのも品切れだったから。
金沢武蔵家おぼえ書中村春江 2,000 加能屋書店 2009/02/11 注文したら在庫なしとのお答え