書物蔵

古本オモシロガリズム

ホモパチ法について

めづらしく時事。
ホメオパチーはいつから日本に入ってきたのだらう。
とオタどんのエントリを見て思ったので、さっそく、あらかわそおべえの辞書をば。
外来の概念の初出(に近いもの)を調べるにはこれにしくはなし。とゆーのもニッコクは必ずしも用例の初出主義を採らんようなので。
で、ありました。
ホメオパシーを引くと、ホメオパチーを見よとあって、そっちには、初出に近そうな用例が。
・忽没越阿巴智(ホモエモパチー) 『済生三方』杉田成卿訳 1849
・ホモパチ法 『百科全書(中)』 丸善 1884
まーあらかわ著も必ずしも典拠がたどれないことがあると森さんなぞは言うけれど。。。

ホモパチ法のNDC分類

ところでホモパチ法の本の分類を変えよ、という提言があった。ホモパチ法が
492.3 化学療法.薬物療法
の項目に分類されてきたが、このたびのホモパチ法の否定によって、
492.79 民間療法:触手療法
あたりへ付与分類を変更せよというもの。どーも結構ネット上の図書館系の人々が賛成しておるやうなので心配ぢゃ。http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/machida77/20100829/p1
わちきも、ホモパチ法は科学でないとは思うが、3つの点から492.79へ移動するのは反対ぢゃ。

理由の1は技術的なもので

いちおー十進分類って記号に階層性があって、.79の上位の492.7は「マッサージ.機械療法」となっていて、あまりふさわしくない、ということ(まぁそれを言ったら、なんでここに民間療法の項目があるのか、これは分類委員が分類構造をわかっとらんからではないか、という正しいツッコミが(σ^〜^))

理由の2も技術的なもので

どうしてもホモパチ法を近代西洋医学から分離したいということであれば、いままで使用してきた492.3の下位に、ホモパチ法の独立項目をたてて、注記に「※ここには、個別疾病に対するホメオパシー療法も収める。」とでも書いておけばよい。項目は492.3の直下の1から9が空き番でないので、492.304とか492.344とかをむりやり新設することになるがの。(同年9/5追記:あ、そうだ。04ぢゃなくてこーゆー場合、09のほうがいいね。492.309を新設すへし)

理由3は政治的な判断

問題が発見されるごとに、記述者の観点(賛否)や属する流派によって分類を変える前例をつくるのは手間の点でも「価値中立」の点からいっても反対。
これまで(少なくとも旧「西側」の)図書館分類は、あくまで何について述べているかを優先して分類をつけてきたので。
マルクス経済学の貨幣論でもそれ以外学派の貨幣論でも、おなじ貨幣論、337.1がつく。
30万人虐殺論者でも、3万人論者でも、なかった派でも、第二次南京事件について書いてある本は、210.74がつく。
マルクス経済学は経済学としてはダメだから貨幣論でも337.1でなく309.3をつけよ、とか、
30万人論者の本は中国側の見方だから、210.7でなく222.075の中国史にせよ、とか、
そんなことに通じてしまいますぞよ。
もともと(旧・西側の)図書館分類というのはそーゆーことから自由、価値自由であるところがよかったのでは。
理由2の技術論上の問題にもこれはかえってきて、いまでこそまだホモパチ法批判本はないけれど、逆に今回の動きで批判本が出るはず。
そして、その批判本はホモパチ法礼賛本の隣に配架されることになる。これがいわゆる自由主義圏流の言論の自由だったのでは。
何でもいえるけど、何でも批判される、というのが言論の自由の要諦ではなかったかしらん(=゚ω゚=)
ということで。
図書館現場に分類つけかえ要求を出しても、非常勤+一般公務員ばかりのところでは混乱し、せっかくの図書館分類が各館バラバラになるだけなので、どーしてもなんかしたいというのなら、NDCを管理している日本図書館協会の分類委員会に直接、次のようにせよと要求したほうがよろしかろ。
ホメオパシーを独立項目としていまある項目の下位に新設せよ、と。

(同年9/5追記)やっぱりこれは図書分類の知識が司書にぜんぜんなくなった証左では(。・_・。)ノ

あのさぁ。まず第一に。
図書館って言説の正邪を判定するとこぢゃ、ないでしょ(σ・∀・)
もちろん「ヒューマニズム」といった(@安井一徳)無意識の善意によってある種の本が無意識的に購入されないということはあっても、それをも自己批判的に乗り越えていくべき知の自由市場に近いものと、擬制としてでであれ仮定せねば、「図書館の自由」なんてお題目でしょ(σ・∀・)
でもわちきはもともとこの概念が輸入時に誤訳され、それがまた捻じ曲がって、あんま好きでないのだ(-∀-;)
でもって、ありがたいことに図書館分類は原則的に自由が阻害されないような構造になっておるのがいいとこなのに。
資料組織化のキョーカショには書いておらんねぇ。
一般分類表てーのは専門分類表と違って、図書を表にあてはめる時にゃ観点分類はしないの。できないの。だって特定主題について書かれる本でも書き手はその学問で修練もなにも受けた人ぢゃないことがおほいし、たとい学者だって専攻以外の主題についてなら素人とさほど変わらんの。
だから一般分類表で著者の観点を表の学問分野にあてはめて分類しちゃうとトンデモないことになっちゃう。
そう。かなりの本が、914.6(日本近代随筆)か、049(雑著)になっちゃう。
さらに言えば、その雑文に文学的香味が明確かなんて作業者には判断できないし、ほとんどの著者は文学でメシを喰ってるわけでもないから049に図書がおしよせる。
だからこのような、論理的には正しくも結果がお馬鹿な観点優先分類をしないことに(慣例的に)なってる。
キョーカショに書いてないことをあえていうと。
分類表を創る時は(つまり、あんたが「もり・きよし」ならば)、表の項目立ては、その時存在する知識分野(discipline)をすべて集めてきて、逆ベーコン式だかなんだかにそのディシプリンを並べ、さらに各ディシプリンの下に(これまたその時そのディシプリンが対象とする)事象や配下のサブ・ジャンルを並べる、ということで作られる。
言い換えると、表を作るときは、事象はバッチリ観点で分類されるのだが。
逆にいったんできちった分類表に図書を位置づけていくときにはサカサのことをすることになってるんよ。
一見、確立したカターイ学術ジャンルの顔をしてるような項目でも、それはあくまで事象として見ねばなんね。
たとえばさ。
社会学なんて学問じゃねー」という本を社会学のシャの字も知らんわちきがエッセイとして書いたとする。ここではこれを「社会学についてのアホアホ本」とする。
これをどこに分類するか。
社会学についてのアホアホ本は、すなわち主題は「社会学について」なのであり、その本を一般分類表で分類するとせば、「361 社会学」でよいのである。
「361 社会学」は、社会学的観点の本のみを納める場所では、ぜんぜんない(もちろん、結果として社会学者が社会学的研究法・記述法で書いた本も納まるが)。社会学についての本を納める場所なのである。
トンデモ医療についての本でも、そりは498医療か490医学に収めるしかないの。
司書課程の資料組織化、とくに分類についちゃあ、分類表を創る人のための雑学ばっかしか載ってなくて、運用する人のための雑学や原理論が、ないんだよなぁ(*゜-゜)