書物蔵

古本オモシロガリズム

『千代田図書館とは何か』を読む。

千代田図書館とは何か─新しい公共空間の形成

千代田図書館とは何か─新しい公共空間の形成

ありゃりゃ。
こりゃー耳が痛い(・∀・`;)
同僚や部下や上司に、ほんたうにショージキに良かれと思って直言するやうなもの。
けど、ほんたうのことにかぎって、いはれると怒るのが人の常。
とてもフツー人が書いたとは思えない…
といふのはARGさんが書いていたことだったっけ…
http://d.hatena.ne.jp/arg/20100228/1267327959
と思ったら、もっと公共の機関一般についての話だった。

図書館で働いていようがいまいが、関係者であろうがあるまいが、誰もが口を出していいのが公共図書館というものだ。むしろ、無償での口出しを得られることは幸せでもあるはずだ。そう思うと、内外を問わず、多様な口出しを歓迎できない限り、その図書館は公共図書館を名乗る資格はないとも言えるだろう。数章を読み進めながら、そんなことを思った。

まったく正論なり。
でもなぁ。究極のフツー人は東條英機なんだよなぁ。
日本における公共とは何か?

いろいろトラップも

『図書館は本をどう選ぶか』でもそうだったけど、おちゃめな(?)著作というのものには、結構トラップが仕掛けられている。あの本のAmazon評なぞ、その恰好なる標本*1
この本にもトラップがいくつか仕掛けられている。
表面的にわかりやすいのは「日本図書館協会の頑迷な反対」(p.59)とかレトリックの部分に少し。「頑迷固陋な図書館人」ってのもあったような気が(^-^;)
本質的には2つかな。いや3つか。
ユーザのセグメント化、知的自由の守り方、職員論といったところ。
ここいらへんはオバカさんが下手に攻めると、返り討ちにあうような構造になっているねぇ(・∀・`;)

*1:ってか、わちきのブログもそうなんだけどね(^-^;) 憲法第一条ネタと闘病記ネタ、あと資料保存もそうかな。わざと怒らせて怒った側の論理の破綻をつつくという… あっ、あともひとつあったか。