書物蔵

古本オモシロガリズム

附帯施設論争の戦後的作用【泰然自若?】

G.C.W.タンのカキコを読んで思ったんだけど…

「図書館」はもっと猥雑なものであっていいんじゃないか
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2010/01/post-fdb2.html

たしかにようやくいま、図書(単行本)の貸出に特化した図書館経営が見直されつつある。

でも1950年からパルテノン・モデル

いつか言及したパルテノン・モデルとか(σ・∀・)
 モデル図はこちらの黒板を(^-^;)→http://www.genkina.or.jp/archives/299
ってか、昭和25(1950)年に日本の「(公共)図書館法」が出来たときから、実は経営モデルはハッキリしたものじゃなくて、なにをやってもよいものだったんだけど(´∀` )
現行の1950年図書館法で、第三条(図書館奉仕)にはいろんなことが書いてあるが、ここの規定って、ただの例示にすぎず、「実施に努めなければならない」とあるが、全部できてなくてもよい。だいたい第三項にはっきりレファ・読書相談の項目があるのに、結構やってないところあるし(^-^;)
それに「(個人来館者への直接)貸出」をやれ、なんてことは書いてなくて、第一項に「利用に供すること」をせい、と抽象的に書いてあるだけ。現に、都立中央は貸出をしとらん(。・_・。)ノ
その意味で、非常に自由主義・放任的な法律で、図書館人たちの自由な試みによって発展していけるような枠組みになっている。さすが「アメリカさま」(o^∇^o)ノ
だから図書館関係者は、この法律をあまり気にせず、いろんなことにトライできるはずだったのであるが…(*゜-゜)
1960〜70sに単行本を中心とした(=雑誌・非図書をあとまわし)貸出サービスへ資源を集中する貸出傾斜経営が成功しちゃったからねぇ(・∀・`;)(上記の黒板図のピラミッドモデル)

きっと出てくるゾ(σ・∀・)σ

この強すぎる成功体験にしばられちゃってるわけですいわゆる図書館人は。政策論的には1970年代に妥当かつ有効だったと思うけど、ほんとうなら1980年代には見直されてしかるべきだったのでは。
で、この成功体験はなにも悪辣なる「図書館権力」*1によって強化されてるわけでなく、まさしく自由なる図書館人たち自身がつくりあげてきたイデオロギーによって維持されている。
みんな図書館史なんてバカにするけど、じつは歴史観ってーのは今をウラから支えているんよ。
で、いまの日本図書館史を書いたのは石井㌧先生なわけで。
この石井ワールドは1960s-70sを支えるのに実に整合的にできている。
経営モデルの話、とくに、無料貸本屋らしくない事業をしようとすると、きっと「附帯施設論争」がでてくるだろうことを予測しておく。

附帯施設論争(1934-35)

これは、「改正図書館令」(1933)の第1条第2項、「図書館ハ社会教育ニ関シ附帯施設を為スコトヲ得」の解釈をめぐる、松尾友雄(文部省社会教育局成人教育課長)と中田邦造石川県立図書館長)の間の論争のこと。
課長さんが、第2項は第1項、つまり資料提供の話とは無関係で、社会教育的な事業ならなんでも、それこそ相撲大会でもこの項を根拠にできるよ、と解釈したのに対し、クニゾータンが、あくまで資料がらみでないとおかしい、と言ったもの。
まあ当時の文脈でいえば、クニゾータンはあくまで読書による社会改良を夢見ていたので、わちきなど純粋に図書館経営の指導方針をめぐる論争であるように見えてしまうが*2、戦後の連中は、片方が本省の課長だったので、ここぞとばかりに、「国家vs人民」に落とし込んでしまい、附帯施設みたいなことをいうこと自体が、国家主義的で悪!悪!みたいにしちゃったのであった。
論争が本格化したら、この「附帯施設論争」を持ち出してきて、国家主義者といわれること必定である。

だからきちんと研究を

例えば同じ改正図書館令で悪の制度と、1960年代からされた中央図書館制度なんだけど、論文(というか文章ね)をみたら、まともに考究したものが1本もないというテータラク
附帯施設論争も誰かきちんと研究しないといけない。

*1:志保田先生がこのような言葉を論文で使っていたのを先週読んで、のけぞったことですよ(・∀・`;) 志保田務「間宮不二雄と『圖書館雑誌』,『圕研究』」『桃山学院大学経済経営論集』46(4) p.1-17 (200503) http://ci.nii.ac.jp/naid/40006883485

*2:たしか県立図書館長あたりも待遇官吏(か本物の官吏)だったような気が…。