書物蔵

古本オモシロガリズム

図問研は左翼か?

んー、アタラシさんがわちき宛とおぼゆるエントリを図問研ブログにUPしてくれたやう。

図書館問題研究会やその会員をサヨク的だと認識している方もまだ一部にいらっしゃるかもしれませんが

いや、このわちきが今でもそう。いらっしゃるですよ(・∀・)

だって、みーんな左翼だったじゃん!

てか、1960年代からこの方、正確には戦前派が主導権を握っていた1950年代よりもあとの時代、基本的に図書館界は左翼であったといってよいでせう。
で、今でもさうだと思うよ。だって、9条の会と同様に1条の会が図問研にあるとは知らんしね。だって、いまの日本国民(庶民といってもよい)は君主制存置派が多数だし、自由で民主な政党の支持者がやっぱりイチバンおほい。図問研が庶民の意見をそのまま比例代表しているか、といへば、それは左翼のほうにバイアスがかかっているといわざるをえぬ(゚〜゚ )
ただ、わちきは図問研が左翼であるという認識は今でも持っておるが、左翼は本来的にいかんという認識は持っておらぬからネ。そこんとこよろしく。
左翼、とくに1970年代の新左翼のよい面、つまり、根源的に考える(ラディカル)という側面については、おほいに評価してますよん。
まぁ、そもそも図書館団体は、インテリ周辺団体として、日本のインテリがデファクト左翼であるやうに左翼であるのはやむをえないと思うてをる。

ケド、司書がホントーに左翼でいられるか?!

ただ、あへて突っ込みたいのは、司書職運動ってーのか、いはゆる専門職運動なるものは、本質的に学歴差別のうへにしか成立しないといふところ。
ニシゴーチさんみたいな、ロードーウンドー出身者などが、学歴差別の上にしか成り立たない専門職運動と、一視同仁、一君万民のロードー運動とを混同しちまうのは違うでしょ、と。
それをコンドーしちまって、専門職運動をツブしちゃったのは、いま、図問研の重鎮たる大澤正雄先生をはじめとする(旧)左翼の人たちではないかいな、と(と、これは薬袋秀樹先生の『図書館運動は…』に依拠。文句があったら、薬袋先生を論破なさるがよい)。
1960年代初頭、東京23区に司書職制度が導入されてたら、戦後の図書館サービスは(貸出運動の後で)質的に飛躍的に伸びたと思うよ。
はっきり言って、大澤先生は、(図書館史的には)戦後責任者として思想法廷で弁明すべきですよ。楽しみにしてた薬袋説反論本、ぜんぜん反論になってなかったぢゃないの。
でも、このまえ死んだモリシンさんなんかはアタマがいーから、そこらへん(ロードーウンドーと専門職運動の本質的なズレ)には気づいてをったフシがあるけどね。
ぢゃあ、モリシンさんが、中道・中庸で右でも左でもなかったのか、といへば、そりゃー違うでしょ。バリバリの左。それも、永年党員として代々木からじきじきに表彰されとる。
モリシン氏については→
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060706/p1

いちばん悪いのは

もいちどいう。左翼であること自体が罪だなんて言わないよ。もちろん右翼だってそう。
アタマが悪いのが(専門職運動にとっては)いちばんの罪。
どうかアタマのよい○翼になってほしいと思うことしきりである。
ヘントフの思想小説、読んだ?(・∀・)
わちきの意見は、あそこに出てくるこーチョーせんせにかなり近い。いや、公共図書館ならこーチョーせんせの意見には組しないのだけど、ガっこー図書館だからねあの小説の舞台は。
明治期、きはめて先進的な公共図書館サービスをした佐野友三郎は、結局、自殺するハメに陥ってしまったけど、独りで正しがって、自決したり玉砕や特攻をするのは、大東亜戦争時の帝国陸海軍や軍国少年らとおなじである。
ねがわくば、柔軟でアタマのいい○翼であれかし。