書物蔵

古本オモシロガリズム

日本のマニュアル文

わが敬愛する紀田順一郎先生のホームページに「マニュアルの怪」という記事が出た。
http://www.kibicity.ne.jp/~j-kida/image/2008/013001/index.html
先生のご著書は古書展でよくお見かけするけど、あの時代(って1980年代ね)から、現在のITを見通していたところなんざ、さすがと思うがの。凡百の書斎派とちがう。

多くのマニュアルは役所の文章のようなノッペリしたものにすぎないから、まったくメリハリがなく、理数系や法学系には“正確”なんだろうが、何度読み直しても頭に入らない。

そうなんだよね。まずもって日本語になってない。
たとえば、みんながまいにちブラウザのIEで、閲覧履歴をみようとすると「今日表示したページ順」などという選択肢がでてくるが、こんなの日本語じゃないよね。「今日表示した順」だよね。「ページ順」ってのはワケワカラン。

マニュアルのわかりにくさは、どうやら日本だけの現象らしい。この国を襲っている社会的な病弊、闇が背景にありそうな気がする。

おそらく、漢字かなまじり文のせい。
漢字を全廃し、やまとことのはでかきつくるやうにせば、たいらかなることうたがひなし(・∀・)

追記20080202

kokadaさんのレスがあったので追記。
企画書や論文もどき(あえてモドキといっておく)で、どーにも読みづらい文章を読まされることってある。
最近は、アジビラもどきの「論文」を読んで大いに呆れたことであったが。。。
ここ10年ほど、特に多く読まされるようになって腹立っておるのは。
へっぽこくされ疑似法律文。
いや、本物の法律文そのものに意味があるというのは、いちおう認めるが(ってむかし教養課程でならった)、別に法制局で本物の法律をつくっているわけじゃなし、ただの事務文書で法制局員のまねなんかする必要は120%ない!
なんでこんなことになったのかといえば、ワープロで漢字が容易に書ける(打てる)ようになったこと。
梅棹忠夫先生がいうように、やはり日本語はローマ字にせねばならんか、とも思いたくもなってくるじゃーありませんか。
(かきかけ)
学生時代に読んで感心したのは2つ。いまでも、論理的でわかりやすい文章作法の本って多くはないが、
本多勝一の『日本語の作文技術』と木下是雄の本。本多のは政治的にはきっぱりはっきり(頑迷な)左翼だし、例文がなんかもうむちゃくちゃ時代がかった左翼的命題を述べているけれど(そこがまた愛嬌だったりもするが)、非常に役にたった。これは呉智英先生も書いていたことであったが。
木下是雄は文章というより(小)論文の書き方として非常によい。
初等、中等教育では、文学教育の禁止、あるいは、文学教育と国語教育の分離を行うべきだろう。