書物蔵

古本オモシロガリズム

日本図書館史研究の顕密体制について(・∀・)

ひっこしでいろいろヘンテコなものが出てきた
行方不明になってた大学の卒業アルバムとか…
そんなかに、12年ほどまえの手書きメモが…
1995.11.1に石井敦先生がした講義のメモだ(・o・;)

1. 戦前
 日本と欧米の圕の発展は異なる
 大正8年臨時教育会議 通俗教育
 →社会教育主事 粗製乱造
 思想善導(読書会)
 現代の50代の人の圕観←社会的にか
 圕員の戦争責任→「日本の場合、ない」
(上記はわちきの手書きメモ。圕は国構えにト)

我ながらおどろいたのは、さいごのとこ。

圕員の戦争責任→「日本の場合、ない」

「」でくくられているのは、当時のわちきが、これは石井先生自身の言葉ということで書き込んだものであるはずだ。って、そのときのこと、これ見て思い出したよ。
解釈するに、「昭和前期日本の場合、図書館員の社会的地位・活動が低すぎて、軍人や政治家、財界・官界と同レベルの、積極的な意味での戦争責任はない」ということなのであろう。
たとえば米国における図書館界の戦争協力は、もっときっちりはっきりしたもので、さらに役立ってもいたようなので、もし仮に米国がナチスソ連といったような本物の悪(あく)だったり、敗戦国になったりしていたら、「米国の場合、ある」という論理になろう。なぜだか日本では誰も研究してないようであるが、ナチス図書館学やソヴェト図書館学の、戦時体制への具体的協力は、かなりのものになるのではなかろうか。
最近発表されるものでも、あたかもエリート層同様にあるかのような印象をもたせようとするものがある。図書奉行タンの、「中田邦造=転向左翼」説*1にたった「負の遺産」説とか。
それらはまさにGCWたんがビシーっと指摘したような石井図書館史学ワールドの延長上にあるわけなんだけれども…
意外や石井先生自身は、わりと冷静に戦前期日本の図書館人の戦争責任をみていたというわけだわなぁ(・∀・)
結論としては、戦前に日本図書館界の中央(の傍)にいた岡田ナラウさんとおなじ意見となるわけ。でも石井さんの書きぶりからは、ぜんぜん逆さのことしか伝わってこない…
わちきはこの現象を、

日本図書館史研究の顕密体制

と呼びたい!`・ω・´)シャキーン
戦前期天皇制は、あんなもんはただの政府機関にすぎんという官僚エリートの密教と、なんだか偉いもんだよという庶民・公民むけの顕教の2重体制であったという。んで、エリートが社会の覇権をにぎっているあいだ(明治期)はこの顕密体制は絶妙にうまくまわってた(日清日露)。けど、デモクラシイで顕教が政権中枢に及ぶと暴走をはじめていく。
図書館界も、価値の中央管理で大躍進したわけだけど…
おたがい「時代のババ」を掴ませられないようにしないとね。
それには実証、実証、また実証。ってところかしら、図書館史研究の場合。

*1:わちきはまちがいだと判断するし、別のひとの論文もあるよ