書物蔵

古本オモシロガリズム

都道府県立どうすべぇ

Tohruさんとこ(http://sakuraya.or.tp/blog_t/index.cgi?no=396)経由で、京都府立「総合資料」館をどうすべぇかというハナシを知る。
京都府立総合資料館再生へ/あり方検討委骨子案」(http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007081900017&genre=A2&area=K1D
こうゆー報道を読むと、すぐこんな疑問がむくむくと。
・1988年の博物館機能分立の瞬間に、すでに「総合資料」館のコンセプトはくずれていたのではないか。
・2001年の新築・府立図書館を計画した瞬間に、残っていた図書館機能も(実態としてはともかく)コンセプトとしては無意味になっていたのではないか。
逆に言えば、新・府立図書館(40万冊)を計画した人々は、総合資料館に残る34万冊にいったいナニをさせようとしていたのか激しく疑問。
結局、「県立=市立貸出のバックヤード」という1980年代の滋賀県立モデルの問題なのだなぁ。また前川御大の結果としての負の遺産ということになるが。
そういえば、『現代の図書館』Vol.44 No.4(2006.12)が、「特集:地方自治制度の変貌と都道府県立図書館」なんかやっとるが… 総論にあたる論文が最後のほうにある(ってそれもひとつは投稿)のはなんかヘン。
滋賀県立モデルは地方自治制度との整合性に欠け他県に広まらなかった一方で、大図書館の利点であるレファレンス機能はつねに価値的に2次的なものとされてしまいブレーキがかかちゃう。結果として県立は貸出・レファどっちもあんま進展せずということになってしまい…
東京都立のどうすうべぇを含め、県立どうすべぇというのは滋賀モデル(1980s)の限定性から将来されとるんよ。もちろん、滋賀モデルが一定程度成功し影響力を持ったからなのだが。

余談 図書館と政治(政治闘争)

ただこういうこと書くと、御大のとりまき連がまた、うしろから刺そうとやってくるのが目に見えて、だれも書けないのだなぁ… って実際、このわちき自身が去年とりまきに刺されそうになったですよ(・∀・)(http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060823
しかしなんで図書館運動の人たちって、異端狩りに一生懸命になるのか*1 これで「図書館(における市民)の(知的)自由」とか言うからお臍でお茶がわいちゃう。
今度の図書館雑誌でも、船橋西(左派司書による右派本焚書)の記事が満載されとるのに、巻頭の「図書館の自由」こらむ氏が、「改憲=悪」ということを前提にものを書いておるし。
もちろん個人としてそう思うのは、それこそ自由だけど(だから上記意見は投書欄などなら可)、改憲がよいかどうかについて自由に議論できる場を確保するのが司書さまの使命なのではないかいな。「図書館の自由」ったって、べつに図書館(図書館員)に自由があるんじゃなくて、図書館にやってくる住民に知的自由があるのだよ。

*1:大戦末期の特高みたいなんだからこれが。ミッドウェイもマリアナもとうに過ぎているのに、まだ徹底抗戦しようと、わちきみたいな厭戦派を槍玉にあげんと必死こいておる。もういったんおじゃんになったんだから、これからは各自各館、ゲリラ戦もよし、占領軍に面従腹背もよし、新しい方向でじたばたするしかないのに。