書物蔵

古本オモシロガリズム

「県立図書館」は、実は近代化遺産

ちょっと前にかいたメモ

図書館も典型的な「上からの改革」

ご維新(Meiji restoration)は1868年。いまは2013年だから、145年ほど前になる。
わちきのおばあちゃんのおぢいちゃんが神田佐久間町風呂屋で釜たき――三助かも(σ^〜^)――をしてをったころ、本朝の近代化ははじまった。
外圧をきっかけに地方軍事政権がクーデタをおこし、Tycoon政権が瓦解。明治新政府は日本社会を根底から近代化しようとして、いろんなもの、学校とか工場とかを「これをマネしんしゃい」とてモデルとして創った。
そのなかに「集書院」ちゅーか「書籍館」(しょじゃくくゎん;しょせきくゎん)ちゅーもんもあった。
各地の者どもはよろしくマネして近代化せい、とて東亰は湯島の地に「書籍館」なるものが開かれたのハ明治5年のことぢゃった。

ん?(・ω・。) さうか、書籍館がなけりゃあ、開けぬヤツとバカにされちまふかも

と、理解(誤解)した地方人士がさかんに書籍館を創ったのが明治10年代だったっけか(第1次図書館設置ブーム)。
んで、これらの多くは立ちゆかなかったんだけれど、いくつかは県立図書館として残っている。
その次に「郡立図書館」ブームの時代がやってくる。
そんな感じ。
つまり、

国立>県立>郡立>市立

といったぐあいに、上からの近代化で、図書館が普及して行ったのが日本だったといふわけ。
んで、現在は「郡立図書館」は1つもない(だって郡役所がなくなったんだから)。
だって、上記図式の右のほうが繁栄すればするほど、左のほうの図書館は、モデルとしての役割を終えて不要となるぢゃろう。
んで、現在、レゾンデートルが問題になっているのが、県立図書館というわけぢゃ。

「国立」がレゾンデートルの再定義に成功したのは明治30年

え?(・ω・。) 国立図書館がいまだあるぢゃないか、ってか(σ・∀・)σ
実はアレ、「再定義」したから残っているのだ。
現在の我々には意外なことに、他の近代国家では、王家の私的文庫(フランス)や、書籍商の共同記念館(ドイツ)といった、最初から全国的なものとして始まっているのに、日本の国民図書館はさうでない。
最初にいったやうに、モデルだから。明治5年文部省「書籍館」は、ありゃナショナル図書館でもなんでもなく、ただの公共図書館のモデル。
幸か不幸か、文部省書籍館は、モデルとしての役割を終えた後も、これは田中イナキの知恵でせう、役割の「再定義」に成功し、国民図書館(national library)になることで、世間サマから存続を許してもらたのである(その際、「帝国図書館」と改称した)。まあ戦後、議会図書館に吸収合併されるといふ憂き目にあひながらも、国民図書館の機能ハ存続している(現・国会図書館)。

「県立図書館」は、実は近代化遺産

ことほどさように考へてみれば。
結構あった郡立図書館はそのほとんどがなくなっちまったけど、県立図書館も「再定義」の止揚、ぢゃなかたしやうによっては、目があるんよ(σ^〜^)σ
でも、かういった構造的、長期的な見方をしとる人は、ほとんどおらんね(=゚ω゚=)
はたして、あらたなレゾンデートルを創れるか。。。(*゜-゜)
もし、それに失敗すれば、郡立図書館と同様に、消滅することになろう。もちろん長期的には、ということで、広域自治体都道府県)が役所として存続している限りは、すぐにはなくならんが。
たとえばさ、日本国が中国や米国に合併されてなくなっても、日本民族よすがに、国会図書館のコレクションは残ると思うよ。もちろんこれは、国民図書館として明治30年代に再定義した結果として、そのようなコレクションが形成されたから、なんだけどね(σ^〜^)

図書館戦争を現実に!

しかし、そんな「県立図書館」の再定義ったって、どーすりゃあいいのよ(´・ω・`) ってなご意見もあろうかと。
ってか、実際、わちき自身が、なんとか存続の方策はあるまいかとて、いろいろ文献を調べて知恵をしぼったのぢゃが、結局、これは、といった方策はなかなか見つからんかった。
ところがある時、不図きづいたのぢゃが。。。
じつは奇策がひとつある(。・_・。)ノ

県立図書館を国会の支部にしちゃえばいい

地方支分部局にして、図書館戦争の世界を創るのぢゃ(≧∇≦)ノ