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古本オモシロガリズム

日本における図書館経営論の系譜【本邦初】

昨今、やうやく図書館経営にも一般経営学の手法を導入すべきでは、などということが当たり前のこととして語られるようになってきたけれども、実はここ10年ぐらいの話で。
上記の柳・小泉(1987)論文はその嚆矢といってよかろう。
じゃあ、図書館はそれまで「経営」されてこなかったのか、マネージされてこなかったのか、といわれれば、そんなことはないわけで。
経営実態があれば、どんな形であれ(たとえそれが「経営」と呼ばれなくとも)、経営論もあるわけで。ただ、経営論史や経営史は管見のかぎりではほとんどない。高山正也『図書館情報センターの経営』(1994)の冒頭にちょっぴりあったきりかしら(でも、踏み込んだ分析は皆無だったような)。ん、『図書館情報学ハンドブック』にはどうだったかすら。。。(あとでみたら、経営論史はなかった)
近代日本の図書館経営論は、おそらく4期ぐらいにわけて考えるのがよろしかろう。

「図書館管理法」の時代(明治〜)

 洋行紳士による啓蒙期。文部省(帝国図書館)による一連の著作。上からの近代化のための公立図書館経営法。役所の出先としての図書館をうまくまわす実務の並列的網羅が「管理法」として論じられ、著作に。

図書館経営」の時代(大正〜)

 財団法人など(満鉄も)による私立図書館の(質的)繁栄。新しい図書館サービスの事業モデル論など。東京市立による自立的な経営を背景にした今沢慈海の論。

「図書館管理」の時代(昭和後期〜)

 直営による安定的(=静的)経営のもとでの大躍進(量的拡大)。「中小レポート」にも管理論あり。行政管理論の図書館経営への導入。清水正三の本がその白眉。理論的には岡部史郎も。

図書館経営論」の時代(昭和末期〜)

 日本経済の安定成長から不況へ。 委託、非直営化 都市経営論、省令科目改正(1997)。一般経営学の知見の導入せよとの掛け声。

最後、掛け声、とするのは、いまだ必ずしも成功しとらんと思うから。
もちろん上記の諸潮流は厳密な発展段階ではないので、たとえば現在の『図書館経営論』という言説に、「管理法」的な実務の並列的羅列があるということもあったりするし、そしてそれが不要とは一概に言い切れなかったりもする。

特殊な時代

あと、いま気づいたんだけど、「図書館経営」と「図書館管理」の間に、つぎの時代も設定できるような期がしてきた。
ってか、経営論不在の時代というか、図書館局の時代というか。

「経営指導」の時代(昭和前期)

 「改正図書館令」(1933)の時代ともいえる。県立図書館が直接、市町村立図書館の経営を指導するという、県の図書館局ともいうべき権限が法定され、事務官でなく司書の論理で図書館経営ができる法的環境が達成されたが、敗戦によりチャラに。伝・林繁三『図書館管理法関係資料』(1944)

司書の経営権が独立したが、それは市町村レベルの各館にあるのではなくて当時の「中央図書館」、その多くは県立図書館にあるというもの。組織体が小さいユニットごとに自立分散的に動く現象を「経営」と呼ぶとすれば、経営不在の時代ともいえよう。
図書館局の時代ともいうべきか。たまたま「極端なる国家主義」の時代だったから、戦後むやみやたらに中央図書館制は悪いものと受け取られるようになったけど、今沢慈海日比谷図書館館頭(=館長)時代の東京市立なんてのはまさに、このモデルなわけで。市立各館がネットワークを組みながら司書固有の論理でもって事業モデルを開発したりしてたし、さらに、これは今まで誰もはっきりと指摘してきていないことだけれども、1980年代の前川館長の下での滋賀県というのは、きっぱりはっきり民主主義を標榜していたけれども(あたりまえ)、この中央図書館制度とモデルとしては同じことをしていたというわけ(http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20070821/p1)。
前川滋賀がモデルのひとつ*1になったように、図書館後進県の図書館発展には有効なモデルだったといえよう。戦争でみなぽしゃって実証はされなかったが。

*1:惜しむらくは、改正図書館令の時とことなり、中央との連携がとれず、このモデルの法制化に道筋がつかなかったこと。都立中央の複本廃棄はこれに起因するといえよう。図書館事業基本法案の挫折なども関連。