書物蔵

古本オモシロガリズム

「朝読」と図書館

いつかは「朝読」についても言及せねばならんと思っていたところ。
「読書運動」とか「読書会」とかからは1970年代に図書館業界は手を引いたといえよう。
その背景には,インテリならだれでも想定するように,高度成長後の個人主義的ライフスタイルの浸透が考えられる(未検証だが)。
それはともかく。
読書運動・読書会の変形した子孫が,「朝読」だと常々思っていた。
ところがこの「朝読」に,いまの図書館員たちは反感や反論を持っているらしいのでは,とのブログ記事が。http://d.hatena.ne.jp/yuruyurutei/20060921#1158804020
それ読んでピキーンときた。

読書会の自由論争(1943) 中田邦造(田舎派)vs.渋谷国忠(都会派)

これがそのままくりかへされてゐるぅぅうっつ!!!
これはオモシロいなりo(^-^)o
考えてみれば。
いまの図書館員ならば,「国民読書運動」をはじめ「朝読」も含め,読書を働きかけること自体にたいして懐疑・反感があってもおかしくないと考えるべきだった。
これは古くって新しい論点なり。
館界の出版物をみてると,どうしても今の図書館員が無意識的に前提としていることがわからなくなってしまう。
その意味で,いまの教師達が「朝読」や,「朝読」に対する図書館員たちの無視or反感をどう思っているか知りたくなった。