書物蔵

古本オモシロガリズム

ほんもの(・∀・)のOPAC

画像は、ほんもののOn-line Public Access Catalogだよ(・∀・)/
なんとあまあ、ネット上に全文(画像・textともに)あるね。http://deepblue.lib.umich.edu/handle/2027.42/3351
カードとテレビ回線で、まさしくオンラインで閲覧目録を見ることができる、というもの。図の左に座って受像管をみているのが利用者で、右のほうでカードボックスを引いてるのが図書館員。で、図書館員がカメラのとこにカードBoxを持っていく。
これぞほんもののOPAC
1950s-1960sに、米国・図書館振興財団が助成しまくったさまざまな助成研究のひとつ。
しかしなー、この図書館振興財団がこの時代に関与したさまざまな研究、まとめるととってもおもしろいものばかりなだけど。だれか米国図書館史研究でやらんかね。わちきは英語が苦手だからやらんけど。(このブログ、論文ネタ公開しすぎ、ってか(・∀・))
共同で研究やってたALA(米国図書館協会)にゃ、JLA(日本図書館協会)とちがってキチンと一次史料をのこしてるみたいだし(ネットで所蔵がわかる)、まじめにしらべれば、かなり奇天烈でオモシロ研究がなされてたことがわかるはずだよ。
もちろん、技術環境の低さのゆえ、(今となっては)奇天烈に「みえるだけ」なんだけどね。パソコンが普及するまえから、コンセプトがあるというのがすごいところ。いや、すごいというよか、やっぱり文明の中心はこうなんだねぇ。「コンセプト→技術」というのが道理であって、「技術→コンセプト」ではない。
どこですか、「パソコンがあるから何かしよう」という技術決定論者が獅子吼しておるところは。文明の中心地ではコンセプトが先ですよ。技術決定論のパソコンお宅がいばれるというのは、文明の周辺国である証拠ですな。
日本文明は中華とか欧米とかから文明の断片を輸入してはオモチャとして洗練させるぐらいしか能がない。
そーゆー意味じゃあ、ヒトラーの世迷言も正しく思えてくるよ(彼は『我が闘争』において、文化を維持はできるが創造できない「文化維持的民族」として日本人をあげている)。