書物蔵

古本オモシロガリズム

古本道は「学」それとも評論?(民間学の困難性1)

図書新聞週刊読書人』(2006.6.30)p.6になないろ文庫主人が,高橋輝次『関西古本探検』(右文書院2006.5)の書評を載せている。
で,いくつかの瑕疵を指摘。
要するにレファ本のハナシ。著者が古書目録の目録はないだろう,と書いているが,それならありますよと指摘したり(日本古書目録年表. -- 文車の会, 1968),ある人物(大西鵜之介;大正期の詩人)の記述で,ある人名辞典を知らないのねと指摘したり(日本アナキズム運動人名事典 / 日本アナキズム運動人名事典編集委員会. -- ぱる出版, 2004.4)。
うーむ。
これは難しい問題。
というのも,この本が学術書なら致命的な欠陥だが,古本道は学術なのか疑問のフシがありありだから。
もちろん,あらゆる学がその当初は好事家の道楽が発祥になっているわけで…
古本道を極めたものとして,後発の古本本の瑕疵を指摘するというのもありなわけだが…

レファ本・資料本がないと

三十年以上前に限定版で出た古書目年表や,お高めのアナ事典をおいそれと趣味として買うわけにはいかないわけで。
でも学問としてやるのなら,当然,レファ本(オンライン資源含む)を駆使してでも先行文献を見つけなければなりませぬ。
で。
いちど言った「民間学は不可能」というのは,要するにレファレンス資源に在野の人はアクセスできない(か,かなり困難)から,というのがわちきの意見なのだわさ。
たとえば…
しばらく頓挫してる皇道図書館研究。これ,あとは日大の図書館にもぐりこんで,ある雑誌をリファーすればいいって判ってるんだけど,「紹介状」がない。
アカデミズムに所属してれば,所属の大学図書館にぶらりと行って紹介状をもらうなり,学会仲間の日大関係者にちょっくら手引きしてもらうなりで簡単にアクセスできる。
けど,アカデミズムに属していないと,異常な手間や心理的障害をのりこえていかないと閲覧すらままならない。
辞書の類だって…
専門のもんは,もともと個人の購入は考えられていないから(かなり)高いし,
高いだけならまだいいが,だいたい置き場所に困るよね。ちょっとしかリファーせんのに。
アカデミシャンなら,学部や図書館に辞書置き場(reference room)があるから,そこ行ってチョチョイノちょい。
でもなー。高橋さんは在野っぽいよ。
この本は学術書じゃないんだから,まあ,よしとすべきなのでは。それよか,面白いか面白くないかが重要だよね。
いちど,古本本を批判させてもらったけど,あれは正真正銘,アカデミズムを標榜していたからね。