書物蔵

古本オモシロガリズム

1980年代「古書という世界の閉鎖性」をうちやぶった『彷書月刊』

古本の時代

自然科学やある種の社会科学では、現在ただいまや今が大切で、過去はどーでもいーという観点がありえる、というか、俗人がやれば学問でも商売でも仕事でも大抵そうなる。
だから本の世界でも、新刊があればいいという考えがあるし、図書館でも新しいものを幅広くというのが、俗っぽい司書などは提唱したりする。
いまでこそ、インターネットが幅広い情報の断片をひろうことを可能にしているが、それがない時代(日本で1995年以前か)、新刊書店、(図書館では)新規受入だけに頼っていては、情報の多様性は担保されんかった。
では、多様な情報、幅広いジャンルをみるにはどうーすればよかったか?
新刊ではなく、「既刊」本、「旧刊」本であり、古本である。
古本にアクセスするには一般には図書館ということになろうけれど、古くて大きい図書館でないと、せいぜい10年ぐらい前まで。それ以前だと、ろくすっぽアクセス手段のない書庫にぶちこまれたりするからねぇ。(日本の*1)図書館ダメダメ。
で、日本の知的世界で替わりに機能してたんは古本屋。
古本屋は基本、開架で*2、古い本が置いてあるから、旧刊書を探す(というか、予期せず見あたる)には原理的に正しい機能を備えていた。問題は…
その私的性格、というか前近代的性格。今でこそブックオフやインターネットなどの「近代」の波に本格的に洗われつつあるが、店舗としての古本屋はOpenな機能があっても、ぢゃあ、どんな古本屋がどこにあるの、とか1冊ごとジャンルごとの古本についての解説といった機能は、古本屋には原理的に担保されとらんかった。

第三の古本雑誌

そこで、成立しうるのが古本情報誌なわけぢゃが、いかんせん先行してあった『日本古書通信』は昭和9年、創刊の出自が、「通信」、つまり業界内限定の業界誌であったし、それが一般誌となってからも、主題は戦前、昭和30年代までの価値観で、和古書、漢籍、仏書、近代文学に限られがちぢゃった。
日本が世界一となりつつあった昭和の末ごろ、そこに現れたのが第三の(第二はいちおー『本の本』)古本情報誌、ほうしょげっかんであったのぢゃ。

ことさらに、古書にかんする情報が少ないのには理由がある、古書という世界の閉鎖性、そのような情報を必要とするひとびとが、与え手にも受け手にもきわめて少ないのではないか、と思われたからだ。
 新刊も古書もふくめての情報誌といえば、現在、一誌しかない事実である。(略)
 それにあわせて、かくのごとき、書物の世界をたずねる小冊子が、実は現在、計画されていて、『彷書月刊』という誌名で、九月二〇日に創刊の予定になっている。(略
田村治芳.古書.出版ニュース. (1364) p.17(1985-08中) 

この彷書月刊からは、1980年代、さまざまな知的なオモシロねたがでてきた。有名な例を挙げれば、山口昌男の山脈もの。有名でないところを挙げれば、「満鉄図書館」ネタなんてーのもさうだ。
その彷書月刊も、もはやないねぇ。田村ななちあんも。

*1:英米だと、開架だろうが閉架だろうが件名カード目録などで主題アクセスが担保されてた。

*2:ってか、海外古本屋は専門店なら当時もカード目録整備したりしたが、日本の古本屋はそんな管理はせんかった。