書物蔵

古本オモシロガリズム

館界グチ(-_-;

そんで,どーして転向したの?って聞かれたら「図書館研究などは一時の気の迷い。戦局が悪化してんのに指導者達が間違った戦争指導をやめず,あきれた。悪いのは指導者達」と言わせてもらうっち。
すると,「悪いのは一部の極端なる貸出主義者たち。図書館人民は悪くない」などということになるのだろーなぁ。
いや,実際,集団の責任を個人がどこまれとれるか,ってのはむずかしい問題だわさ。
戦後図書館人たるみなさんも,一部の「極端なる貸出主義者」「英雄的貸出行為」の跳梁跋扈を許してしまったという点で懺悔せねばなるまいて。
戦前の図書館人たちを一概に非難できないのは,それがそのまま戦後の図書館人達の戦後責任に帰ってくるからなのだ。

戦後図書館界の2つの道

端的にいって戦後,日本の公共図書館事業には2つの道があったと思う。

力点 提供資料 経営形態 職員 職種 設置義務
低コスト型 貸出特化 図書 委託可 非常勤可 事務 なし
高コスト型 貸出+レファ 図書+非図書 直営 正職員 専門 あり

1950年の図書館法は,
貸出+レファ,図書+非図書*1,直営,正職員,専門的職種という基本的には高コスト型の高度サービスを想定していた。けれども当然というべきか義務設置はできなかった(財政的にコストを国庫が負担できんかった)んで,これまた当然,このモデルは停滞をよぎなくされた。
1960年前後,図書館雑誌でさかんに出てくる「停滞」という語は要するに,

高コスト型じゃあ貧乏三等国で自治体まかせじゃ当然停滞する

ってことなのだ。
そこで1960〜1970年代に当時の図書館人たちが貸出に特化することで図書館自体の普及を図れ,ってことになった。これが大躍進となる。そしてそれは成功したわけなんだけど。
上記の理念型でいえば,貸出型の図書館が普及すればするほど,逆に世間様は

「図書館=ニコニコと本を貸してくれるとこ」→「低コスト型」

ということになる。
もちろん貸出特化を進めた人々は,貸出が十分に普及したら高コスト型に移行するつもりだったらしいが,どこまで貸出しが伸びたらレファレンスなども展開していくかの戦略に欠けたというか,日本人の通弊で,手段が目的化してしまい,いわゆる「貸出至上主義」にこりかたまってしまい,あのカネあまりのすばらしき1980年代に路線転換ができんかった。
ほんとはカネのあったバブル時代にウソでもいいから切り替えるべきだったんだわなぁ。
不況で本格的に切り込まれ,本来の低コスト型になりつつあり。
いや,国民が低コスト低サービスを選ぶってんならこれはしょうがないんだわさ。

図書館=ニコニコと本を貸してくれるとこ

でいいんなら,たしかに低コストですむし,別に米国並みに大学院卒じゃなくても十分業務はできるよ。

*1:映画などすべてのメディアということ