GCWさんのエントリが「ビジネス支援」支援と受け取られてブクマがいくつかついたようである。(http://b.hatena.ne.jp/entry/5943342)
氏は必ずしも「○○支援」派と反対派(≒貸出派)を、敵・友関係と捉えるべきでないと言いたいようである。
「では何故,ビジネス支援という言葉が公共図書館に対して,業界の外側からもたらされ,なおかつそれを期待されるようになったんですか」
こんな問題提起をしていますなぁ(*゜-゜)
はやりの言説
流行りやそれに乗るメンタリティが嫌だという感じ方もある(上記エントリへのコピライト氏ブクマ)。わちきもハヤリをおっかけるメンタリティは好きでないし、それはそれでいいが、一方で技術革新においては流行というのもわちきの好き嫌いと別に大切で。技術革新下でいやおうなく起きる流行りというものもあるしね。
たとえば館界における著作権議論なぞも、ここ10年ほどの館界の流行。(従来、紙媒体にしかなかった)コンテンツの電子化と、コンプライアンスの流行りが、館界における著作権議論を流行らせた。それ以前、著作権論議は館界では「著作権? なにそれ」だったよ。文献上、1970年の新著作権法の制定時にはすこし議論はあったが、それもJLAの専門委員会がらみで少しにすぎず、館界内での一般化はしなかった。単行本の出版点数をみると明瞭。
表1:館界内著作権論議の流行り廃り
論文記事数*1
1950s | 2 |
1960s | 7 |
1970s | 43 |
1980s | 53 |
1990s | 188*2 |
-2007 | 281*3 |
単行本*4
1950s | 0 |
1960s | 0 |
1970s | 1 |
1980s | 1 |
1990s | 3 |
-2007 | 10 |
ただ、流行らないことばかり好きなわちきがいうのもなんだが、流行りというのも必要な現象ではある。戦前は分類表を作るのが流行ったし、戦後は件名目録をつくるのが流行ったし、レファレンスをするのが流行ったし、開架をするのが流行ったし、貸出をするのが流行ったし。
もちろん、NDCなぞというものは戦前の流行りが(戦後に)館界に定着したわけで。貸出も流行って定着した。件名やレファレンスは定着せんかったが、流行らなけりゃあどーしよーもない。だいたい、図書館を設置すること自体、戦前も戦後も義務設置じゃないんだから、息の長い流行りなわけだし。
あることが流行れば、それ以外は相対的にお留守になる。これは自然の理で、ある程度はやむをえなかろう。むしろ問題なのは、流行ったものがどのように定着していくか、ということかしら。
話をもどすと
本来だったらできてて当たり前だったはずの、行政支援、ビジネス支援、医療情報支援、などなどがまるごと本庁の職員や会社員、病人に認識されなかったのは、なんでもかんでも貸出「業務」のなかに(結果として)隠してきた前川理論のせいだよね。
つまり貸出が定着したのはよかったが、それが教条化したのがまずかった。教条化の端的な例としては、業界内で誰だれひとりとして貸出やめろ説の人はいないのに、あたかも居るかのように貸出派の人たちが唱えておるところ。これを捉えて、「友と敵」論的な見方に○○支援批判派がなっていると言っているのだろうなぁ。
ビジネス支援
うん、まぁどこまでできるかわからんが、ヒマ人・学生→児童→主婦、と利用者層の開拓が進んで、ようやく、俸給生活者へとターゲットがむかいつつあるということですな。べつに悪いこっちゃない(もちろん、資本制に奉仕する悪業という見方もなりたつけど(゚∀゚ )→「日本革命の暁にいまの司書たちはどうなるか」(http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060621/p3)
定着するかどうか、どのように定着するか、ほかにどんな結果を生むか、こればっかりはやっとる最中だからわからんわ(*´д`)ノ
でも定着しないとして貸出理論ばかりが前面にでたままだと、これまたわちき不安ですよ〜 貸出では利用者はともかく、本庁職員や納税者を納得させるのはムズイよ。