書物蔵

古本オモシロガリズム

マイクロ資料と吐き気

わちきがいつも,書影をたのしませてもらってる「古書の森日記」。昨日のお題は「国会図書舘病?
調べたい明治期の資料の閲覧が,マイクロでしかできないが,マイクロを通覧してると具合が悪くなる,というもの。
これも学者スジでは有名な話なのに,図書館論ではまったく語られていないことのひとつ。
ブックディテクション(図書探知器)の電磁波問題とか,必要以上にさわがれるのにね。ほんと,人間のリスク心理ってのは,現実の被害に比例しないから(そのズレを研究する学問があるくらい)。
資料のマイクロ化の利点は,いくつかあるけど。

  1. 原資料の物理的損傷・磨耗を回避できる
  2. スペースの創出(原資料を廃棄できれば,の話)
  3. 紙焼きをとるのに便利(プリンタ直結のマイクロ・リーダーの場合なら,の話)
  4. 複本をつくりやすい(出版事業化することも)

でも,欠点もいくつかある

  1. 読み取り機(マイクロ・リーダー)が必要
  2. 白黒のことがおおい(一部,カラーマイクロもあるようだが)
  3. ブラウジングし難い
  4. カラダに悪い(目がつぶれる)

利用者サイドから言えば,利点の1,2は関係ない(管理者側のメリットにすぎない)のに加え,ブラウジングしづらく体に悪いのはなかなかに致命的なのでは。
GHQ研究をした竹前栄治氏は,マイクロ閲覧で盲目になってしまったという話は,とある図書館情報学の授業で習ったけど,館界ではぜんぜん問題になってませんね。
おそらく,利用者サイドからの視点もふまえた本当の正解は,

閲覧は,料紙の状態が繙読できる程度ならば原資料で。
複写は,原資料で確認した場所をマイクロで。

ということになるのだろうなぁ。
だけど,これもまた,だれも館界では言わないねぇ。って,図書館員は自分で研究しないから*1,利用者の視点など持ちようもないんだけど。
そして,単純に,物理的,紙工学的な話を資料保存と考えるからこーなってしまう。
まじめな研究者ほど,体にわるいマイクロをたくさん見させられることになる。図書館本の言説空間というのは,結局,ユーザを代表することはないのだな,と残念に思う。

*1:博物館のような研究職がいないから,研究する図書館員というのは制度論的にありえない。実態論としてあるとすれば,それはルーティンをさぼる悪い職員という風評がたつ。