書物蔵

古本オモシロガリズム

本道楽がおもしろい

これ↓を読んでいるのだが,めっぽうおもしろい。
本道樂 / 中野三敏. -- 講談社, 2003.7
というのも,本探しエッセイでありながら,なかなか物事の本質をつく言及が多いのだ。それに文体たのしい(^-^*)。
主たる主題は,和本の蒐集家や古書籍商の話なんだけど,学問といわんか,学統,学派,学説史の重要性につき言及してある箇所で,ほんとに感心した。
〜〜〜
ご自身の修士論文を回顧して,当時はそのコンセプトの斬新さに自負をもっていたが,数十年後のいま学会発表の題目一覧をみて,自分の修論のはるかまえ同様のコンセプトで先達が発表していると知ったという。
してみると,その先達との交流をつうじて無意識的にか影響をうけていた可能性大。ということで,そのことをふまえてこう述べている。

学問上の思いつきとは,得てしてこのようなものなのだろう。自分の力,自分の思いつきと自負する所が,実際には先生や先輩の普段の言及のなかにその根があることは往々にしてありがちなこと,というより学問研究のオリジナリティは要するにこうした伝授事によって支えられていることにあらためて気がつき,ことごとしい自負の言にはただ汗顔の思いであった。

はげしく,はげしく同意!なりっ!(`・ω・´)
このような現象をひとことで言うと,学派とか学統というものになるんだろうけど,わちき自身に胸をあてても,最近しみじみさう思うなり〜
わちきの図書館認識になにがしかの妥当性があるにしても (・∀・) ,やっぱり周りの人々からの材料やヒント(あるいは答えそのもの)が背後にあるということを,つくづく思うなり〜 このブログのネタのほとんども,ネタはわちきいがいの誰かからもらってるし。
わちきの3倍は物知りな友人Aは,唯一まとめた単著に「述べて作らず,信じて古を好む」を引いていた。これは孔子の戦術なんだけど,昨今の「オレが! オレが!」の自称クリエイターにくらべれば,よっぽど好ましいなり。
それに「オレオレ」君はクリエーチビチーというものに強迫的に駆られるあまり,学説史を軽んじ,「引用」や「註」などを挙げず,結果として剽窃となってしまうという致命的なリスクをかかえこむことになる。