書物蔵

古本オモシロガリズム

有山タカシに会う…

日野図書館へ行く…
いまなにかと評判のわるい貸出中心主義の発祥の地なのだ(^-^*)
なんで(^-^*)ニコニコかっていうと,貸出中心主義の当時における当座の正しさは認めるからなのだ。

有山粔(たかし)と日野市立図書館の40年 展示会

というのをネットでしり,戦後図書館史で伝説と化した日野図書館にはじめて行った。うん,とある市議(日本共産党)の記事googleに最初にひっかかったからなのだけどね(右であれ左であれ図書館記事ってことで)。
じっくりじくじく見させてもらっただす〜
建物の全体プランは,教科書の類によく出てくるから知ってたけど(しかしプランまで司書課程で教えられる図書館って,ほかにあるだろうか? 「伝説的」というも可なり),おもってたより大きさは小さかった(ホンモノの三倍ぐらいかと思ってた)。
でも,入りやすいイイ感じの建物だと思った。好印象。
展示そのものは…
うーんちょっと小規模すぎるかなぁ。それにパンフももうちっと豪華?でもいいかも… よっぽどの図書館史ヲタなら見に行くといい,というところ(わちきは面白かったが)。
それに新聞雑誌の閲覧するおじ・おばさん達と動線が重なって,おちついて見れない。狭いのはしょうがないとして,二階へ上がる階段ぎわの壁に展開するのがベストだったのでは。

有山タカシ論

展示の説明文そのものには,たしか出てこなかったと思うけど,なぜだか有山タカシ著作集のとなりに前川恒雄著作集がならんでた,って,その写真を事前に上記,市議のホムペで見て行く気になったのだけれど。
有山粔(アリヤマ・タカシ)は図書館界の偉人。いい意味での図書館人
それに日野市長時代に前川恒雄氏と組んで移動図書館や貸出運動で伝説的な大成功を収めたのも事実。
で,前川氏とセットってことなんだろうけど…
うーん,これがわちきには納得がいかんのだ(って,また図書館史の通説に疑問を呈してしまふなりよ,損な性格じゃのうわちきは)。

けど,後に「図書館の自由」という言葉におきかえられるようになった問題で,有山は「中立」という概念を使ってたことが,どうにもひっかかる。
(ここの部分,さしかえ。もとは,<岡田温の「有山くんだって以前はずいぶんと国士だったんですよ」というひとことが,どうにもひっかかる。>でしたが,中田邦造のまちがひでした(^-^;)

上記市議さんの,つぎの感想が現代の我々の思いこみ(誤解)をうまく記述してるような気がするのだ。

特に図書館行政では日本の図書館界を「革命的」にリードした人として知られています。
政治的には「保守系」の市長さんでしたが、著作などを読むと、民主主義の精神が脈うっており、いま読んでも新鮮で、古さを感じさせません。

どですか? どう思いますか?
表面的に読むと,

有山タカシは根っからの社会民主主義者で,だから図書館界を革新できた

ような気分になってくる。そしてそれは,図書館史本をよんだほとんどの人々が有山にもつイメージだと思う。
けど,ちょっと待ってくださいよ。
文中にはっきりと保守政党にかつがれたと書いてあるじゃありませんか。有山が出馬した市長選だって,社会党共産党対立候補がいたはずでは(要調査)。
ま,そーゆーわかりやすい事実関係をはじめ,生い立ちや中央の文部官僚としての経歴,図書館の中立性論争時の彼の論の張り方とか(この件でも彼は革新派に肩入れしたかのように思いこまれている),とうてい単純な社会民主主義者ではありえない気がつよくなりつつあるのだ。
これは…
全面的に要調査なりっ!(`・ω・´)/
もしかして保守系図書館人として再評価せねばならなくなるかも。
岡田の発言をみた時,わちきは単純に「ははン,転向したのね」と簡単な理解をしてしまったわけだが,じつは有山氏自身のなかでは,戦前と戦後はもっとつながっているのかもしれず。
ということで,有山氏と前川氏は別物として理解しようとしているところ。とりあえず戦時中の図書館雑誌が狙い目ね(と言ったら,友人Aに「それだけじゃなく,これこれも」とご示唆,ありがたや〜。彼曰く「有山は,ふつうのおやじですよ」。ははぁなるへそ)。
弟子スジではある前川御大だって,まわりが解釈しているのとはちがうという話もちらほら。
しかしなー,戦前戦後,オモテもウラも,実務も学術も,行政も末端も知り尽くした上でほとんど書かずに99歳で逝ってしまわれた岡田温。この人がますます不思議に思えてくるよ。