書物蔵

古本オモシロガリズム

小説にも件名標目を付与せよ!

ほんとうは便利な件名の話

図書館界でつくっている書誌データは、日本じゃあんま活用されてない。そんなかでもとりわけ活用されてないデータに件名標目がある。うん,まえから思ってるんだけど,わちきみたいな小説シロトでも,書誌データにどーゆー題材で小説がかかれているかが載っていれば,OPACを引きさえすればたちどころに文献がリストアップされるはずなのだ。
たとえば,大橋佐平の小説ないかな〜 とおもったら,件名を「大橋佐平」で引けばいい。ノーヒットなら,単行書ではまだナイということなわけ。
なーんだ,簡単だ。ってのは英米の話。
実際,

米国議会図書館で作ってる書誌データには,小説にも件名標目がふってある

のだ。

国産書誌データの重大な欠落

わーい,じゃ,なんでも英米猿マネ日本図書館にはそれに対応するものがあるはずだよね,と国産OPACを喜んで引いてみると… これが付いてないのだ(´・ω・`) なぜ肝心なところで猿マネせんのじゃ!
どーゆーことかというと
司書課程で件名標目なる慣習をならった人なら知ってるけど

フィクションには件名を付与しない

ってことに決まってるからねぇ。日本目録規則や件名の一般件名規定で決まっていることになってる*1
これは理論上はおそらく,

文学作品には,主題はナイかワカラナイ,たとえわかっても一意には決めづらいか漠然とした概念になってしまう

という前提があるからだろうと思われる(これは文献的に跡づける必要あり)。
たしかに,『小説・徳川家康』の主題は,忍耐かもしれんし,克己かもしれん。『小説・豊臣秀吉』だったら,件名「野望」か? 『戦艦大和の最期』はどうだろう… 愛国心?それとも反戦主義? わちきにはどっちにも読めるねぇ… 吉田満に聞いてみたいよ。うーん,たしかにわかりにくい上に,漠然とした件名になるねー
そう,文学作品に件名標目(subject headings)を付けないのは一理あるのだ。
ん? じゃあ天下に名だたる米国議会図書館は,図書館情報学上マチガッタことをしているのか? 日本図書館が正しくて米国図書館がマチガッテルなんてことがあるのだろうか??? 逆なら極めてよくあるが (・∀・)

目録理論の問題

いや,これはむしろ標目の付与数の問題として簡単に解釈できるのだ。
これは小説にかぎらず,主題標目(分類も件名も)は,本の部分ではなく全体(これを「包括的主題」という。に対してふることになってる。
だから,ほんとうに主たる主題はひとつに決まってくるし,それゆえ,分類も件名もひとつ付与するのが正しいんだけど,それでもどうしてもそれに収まりきらない主題というものがある。そーゆー場合になら包括的主題としての件名でも,第二件名を付与するのは,べつにカマワナイのだ*2
大抵の場合,主たる主題をみつけようと思っても複数みつかるのが普通。で,目録実務ではそれを一定のきまった約束*3で一つに決めていくんだけど,それでも第一件名におさまりきらない主題が残る。で,英米ではそれを第二件名として書誌データにつけてくれるんだわさ。
たとえば,包括的主題が,「国民性--日本」でも,それを展開するために重要な概念装置として「畳」をつかっていれば,第一件名は「国民性--日本」でも第二で「畳」とつけりゃあいいんです。
そう,それは例えば主たる主題を展開するための材料としての主題。ん? そうですよ! それを「題材」というんですな一般には。
だんだんわかってきたかな?
小説は確かに主題はないか,わからない。けど,題材はわりあいはっきりしてるものが多いよね。だから議会図書館は,第一件名「(空白)」を付与し,第二で「題材」を振っていると解釈すべきなのだ。
 小説・徳川家康 なら 件名「徳川家康(1543-1616)」
 戦艦大和の最期 なら 件名「大和(戦艦)」
という具合。
どちらもほんとうの主題では(当然のことながら)ないけど,題材としては衆目は一致するし,それになにより役に立つ。
この結果として役に立つってのが,なんともアングロサクソン的。それでわちきが今ここで理論的なあと支えをしているというわけ(本邦初では)。

図書館資源の豊かさの問題?

日本の場合には,件名付与できるようなインテリをたくさん図書館業界にリクルートできてこなかったという歴史的要因によって,第一件名しか振ってこなかったのではないのかな。
第一件名しか振らないことにすれば,出版物の相当の部分をしめる小説本に件名を一切ふらないですむ(シロウトでも主題分析できる)ことになるから,これはスバラシイ省力化。絶対的窮乏にあえぐ日本図書館界ならやむをえないことじゃないすか。実際,伊藤昭治氏の証言によれば,戦後は「本だし」が司書になって,横文字が読めない漢字が読めないポツダム司書が多かったというし。
ん? もはや戦後ではないか?

それだけではなく国民性の問題

太平洋戦争はよく物量の差で負けたとうけど,決してそれだけじゃないのは『失敗の本質』(中公文庫)を見ればわかる。直前に資源の量の問題をあげたけど,じつはそれだけが件名標目システムが充分に展開されてこなかった理由じゃないのだ。
まずは… カード目録の編成の問題がある。カードはもうなくなったけど,あれをくりこむのは単調だし間違うし大変なことなのだ。
で,カード目録の時代,くりこむカードが増えると編成担当が怒る。じつはこれがかなり件名システムの十全な発展をさまたげたんじゃないか。
となりに座ってる人間にいやがられてまで理念的正しさを追求する実務者はいないよ。それで第二件名や細目付き件名は抑制されてしまう*4
さらに日本的きまじめさもマイナスに働いたのではないかな。第二件名があろうが細目付きがあろうが,(一定の方針のもと)無視して編成すればいいんよ(もし労働力が本当に足りないならね)。でも,そういった自在な運用ができない。何が本で何が末なのか,だれもわからない。なんてったって米国の猿真似ですから。結果,本末転倒となる。
もし,国会その他の書誌データに,本来的に役に立つ件名標目がついていれば,いまこそ役に立つのになぁ…

おもしろくもなさけないのは

いま話したこと(小説の件名がない話と件名の跛行的進展の話)は,教科書にも論文にも書いてないことなのだわさ。思うに,実は司書課程の先生たちって,自分で件名をつけたことも使ったこともないんじゃないのかと (・∀・)  いや、付けやすいものだけ試しにつけて,説明しやすいことだけ説明してる…って訳ね それもいいけどちっとは研究してちょ
日本の件名標目システムの跛行的発展については,山下栄(結局日本に4,5名しかいなかった件名標目研究家のひとり)の決定的な判断ミスをサカナにもう一席もうける予定(またも図書館史ゴシップ!)

図書館史小説

出版史小説はさがせば結構あるのは有名。でもわちきの興味のある図書館史については小説あるのか?って考えてみると… ほとんどない*5… それはともかく,なければ作りゃあいいんす(^−^)
なに書こうかなぁ。

*1:まぁ決まってるといっても,目録規則のたぐいは,現状の業務を追認して書き出してるというのが,本質的にはただしいと思うよ。

*2:目録規則では件名標目の数は「適切な数を」とうまく逃げていたはず。

*3:フェイズ関係という。影響を与えるものでなく,与えられるものを主たる主題とする,など5,6個決まってる。もうひとつは細目として後ろにつけるとう処置もある。

*4:じゃなんで米国では違うの?ってか。うん,それは身分の問題なのではないか。そう職階。

*5:いや,すこしあるよ。けどこれはあとあとでの隠しダマにとっておくのだ(・∀・)。