書物蔵

古本オモシロガリズム

燃える『図書館界』について思う。それにつけても『図書館雑誌』は…

関東組の若頭が,関西連合にのりこんでチャンバラの話はしたよね。で,その土俵を提供した雑誌『図書館界』の編集委員会についてだけど… 当然,関東組からみれば,委員会は偏向しているようにみえるし(実際,糸賀先生がそう感じている),他からもそーゆー主旨の見方があるということを聞いた。で,じつはわちきにもそう見えている…
だけれども…
じつは,それでもいーんじゃないかと思ってるのだ(って,また関東組でも浮いてしまうものいい!)
なによりも,いま,『市民の図書館』を放り投げるか投げないか,ってのが館界の内部的イデオロギー闘争からいって最重要であることは確かなのだから。
ほんとは,日本館界のnational centerたる日本図書館協会の機関誌,伝統ある『図書館雑誌』でこの論争は行われるべきなのだわさ。

[図書館]『図書館雑誌』改造論

でも,おそらく『雑誌』は,論争をやるだけの政治的主体性に欠けるのではないか。この場合の政治的主体性とは,そう,あえて言えば党派的で偏ったココロといってもよい。『界』のほうは,そういったココロがあるからこそ,たしかに偏った形ではあるけれど,この重要な(ホント,館界じゃあこの先50年間はこの論争は語り継がれるね)論争ができたのではありますまいか!
およ,おまえが『雑誌』の編集委員になれってか… もういろいろしたからご勘弁…(^-^;)
でもわちき思うんだわさ,『雑誌』はもっと,業界新聞みたいにしちゃっていいんじゃないかと。
いまでこそ特集形式で論文じみた本文もあるけど,穏当な記事ばかりにならざるをえず,おもしろくは(構造的に)なれないことは,もう,やむをえないよ。
だったら逆に,時事的報知(current awearness)に徹して,業界消息,協会議事録,業者の広告しか載せないってのはどうだろう。
で,カラー印刷や表紙もやめちゃうの。通信や紀要みたいに,表紙に目次をそのままのせてあとは題字だけ。これシンプルなデザインで結構しびれるはずなんだけどな…
あるいは,まったく逆さに,論説ばかりにしちゃうとか。いまは本文は編集委員が審査してるけど,逆に,なるべくしないようにするの。あきらかに偏った意見とかも載せちゃう(^-^*) それで,反論も載せちゃう。百家争鳴にしちゃうのだ(^▽^)/
って,むかしの(1960年代まで)の図書館雑誌の本文って実際そうだったじゃん。
わちきのみるところ,1970年代の貸出主義の成功,それを支えた人々の政治的スタンス(社共)が支配的になってから,なんか善意いっぱいに硬直化してしまったのではないかとにらんどるんですけど。