書物蔵

古本オモシロガリズム

bureauのお馬鹿改革

某調査マンに話をきく。
bureau内にあるgeneral reference部門を拡充し,そこに新人をプールして育てるのだそうな。
愚策。
実際に,各課長の全員が反対なのだとか。
しかし筆頭課長が進めており,すでに予算措置もとってしまったのだとか。
これは,有能な調査マンはどのように育つのかという,調査マンの教育観に由来する問題といえる。
私は各課長や某調査マン同様に,

新人はいきなり専門家のなかになげこまれ,もまれながら育つしかない

と考える。
べつにプールして,エリート指導教官が育てるというのは2つの点で不可能。
まずは…
そんなエリート指導教官が3名も日本的人事制度のもとで常にそのポストに確保できるわけがない,ということ。
だいたいそんな,専門知識もあり調査の方法にも知悉し,さらにまた,それらを教育できるスキルなどを持つなんて人,会ったことないよ。
referenceには,客がしていた文献をみつけるだけの単純なものから,抽象的な質問をうまく回答へおとしこんでいくものまである。その中間のグラデーションの部分は,むずかしいほうをやってる人ならできるけど,簡単なほうしかやってない人はできない,という単純な事実。
あと付随的には…
そのgereral reference課には,専門的レファレンスをしてきた実績・伝統がないとうこと。ノウハウとかスキルというものは,紙にかかれたファイルはもとより,一見くだらない机の配置とか,お茶の時間の持ち方とか,ヒトやモノの歴史的集積に付随してあるもの。
まったくないところに移植というのはむり。
それにいま,一時的に奇跡的にエリート教官を3人確保できたとしても,筆頭課長がかわったらもとの木阿弥。
前例があるのだこれには。
単に提供するブツが違うだけのserial sectionとmonograph sectionがあった。
組織改変でserialのほうはごっそり人が変わり,新人さんばかりになった。monographのほうは,旧態依然たるオヤジたちが残された。
ここで普通人なら,serialのほうが大躍進するだろーと考える。しかし,起きたのはserialのほうの凋落。そっち系の人々は,業務にたいするコミットメント度が低下した。仕事をただ仕事としてのみうけとる人々となった。
たしかに,工場労働とかコンビニバイトであれば,それでよい。がしかし,ことは非営利事業である。
対して,monograph系のほうが,じつはそれなりに最低限のコミットメントを保ったというのは,皮肉なもの。
組織をいぢるについちゃあ,結果から考えないと。