書物蔵

古本オモシロガリズム

 谷沢永一氏が図書館学を全否定(^-^;)

うん,おしえてくれる人(ジュンク堂の怪人さん)がいて,論壇誌『Will』の10月号を読むなり。
図書館学の話は最後におまけで出てくるだけ。ちょと残念。もっと正面からお願いしたいのに(^-^*) 論の本体はといえば,いや,谷沢センセの言ってることはしごくもっとも,とゆーか,わちきがこれまで書いたことを全然ちがう表現形で書いているっちゅーところ。まーた,あの人らしく過激な表現なんだからーぁ。
彼は言う。活字文化促進法とかで学術出版社に金をばらまくのは無意味だ,税金のむだ遣いだ,と。だいたい理系の単行本は教科書か便覧しかないが,それでかまわないじゃないか,理系の学術は学会誌や紀要だけで成り立っている,そして文系でもそれが成り立たないのはおかしい,と。
先行文献をきちんと評価するシステムがあれば,文系でも単行書は要らないと。ではなんでいま要るのかといえば,それは学者の就職のため,箔づけのためにすぎないと。
うんうん,国文学者にして書誌学者の彼の主張をわちきなりに言い換えると,こーなる。

片田舎の無名短大の紀要にのった片々たる論文であっても,もしそれに本当に価値があれば正当な評価をするとゆーのが本来のアカデミズムなのであって,それがないから,単行本なぞという箔づけシステムなぞが必要になる。アカデミズムが本来的に機能すれば,文系でも単行書など不要だ。きちんと先行文献を参照する習慣がないからいかんのだ。

文系でも歴史学なんかはきちんと先行文献をみてるけど,どこの分野とは言いませんが(って言ってるもドーゼンか)他の分野はぜんぜんいい加減だからねぇ。実務者が実務マニュアルを書くんならそれでもいいけど,「学」を標榜するんなら一応ね。

先生の図書館学たたきに隠された真意,あるいは無意識

で,谷沢氏の図書館学批判なんだけど,その本来不要な学術単行本を出す学術出版社は,大学図書館選書に影響力がある図書館学者を手なずけようとして図書館学の単行書を出している,ってな文脈で批判されてる(^-^;)。
んー,そんなに図書館学の本だしてる民間出版社ってあったかなぁ。思いつくのは勁草書房勉誠出版丸善くらいかなぁ。でも,ここの部分じゃあ谷沢先生は基本的な認識まちがいをしてるとわちきは思うぞ(もちろん,学術出版の本丸たる岩波が全然まったく図書館学本を出していないということは,わちきがはじめて指摘しつつも,ここでは深追いせんが)。というのも…

図書館学は図書館実務にはほとんど影響力がない

と思うから(・∀・)
「(日本の場合)大学図書館で選書権をもってるのは教授様方,図書館員じゃない」ってことは,それこそ図書館学で習うのだ(^-^*)
それに,そもそも谷沢先生だって,初期の著作をみるときちんと図書館学や司書を評価してるし,なにより先生が敬愛した天野敬太郎は,最後まで「図書館学」を標榜していたという事実があるからねぇ。先生の図書館学たたきは,先生自身の期待と失望の産物と見た。

つけたり

谷沢先生は文中で,長澤規矩也も図書館学なぞないと言っておる,と書いてたが,友人Aは,いやいや,長澤氏は,図書館学は図書学に包摂されると言ったまででは,とのご指摘。
このまえ拾った長澤先生の本からいえば,そういえる気がしてきた。
だけど,メディア(図書)学がメディアテーク(その置き場)学に包摂されるんじゃなくて,その逆(置かれる物の学に置き場所の運営法が従属する)ってのは,よく考えたら『図書舘情報学ハンドブック』の第1版が第2版へ変わるときの最大の変化と同じじゃないの。
うーん,そーゆー意味じゃあ,1980年に没した長澤規矩也氏は,1990年代の『学ハンドブック』編集委員会と(構造的には)同じ考えを持っていたと再評価できるんだねぇー,意外なり。