書物蔵

古本オモシロガリズム

 図書館評論の創始

「図書館評論」!
いまや図書館評論の時代きたる!
図書館評論!
図書館評論とは,そも何ぞや。

なんて,大正時代みたいに始めてみましたが。思えば平成の御代も大正より長くなりました。大正天皇については,遠めがね事件なんかが人口に膾炙してましたが,もと国会図書館員の原タケシさんが復権さしていました。
小谷野敦が『評論家入門』(平凡社新書)で,評論とはなにか,について悪戦苦闘してますが,彼は結局,学術ではないが,正鵠を射ており,読んでおもしろく,結果として売れる散文,ぐらいのところにもちつけています。
ほんとは,各種の業界誌にそういった文章があればいいのですが…,ちょっとない。いろんな散文が発表されはするのですが,有り体に言えば,ツマラナイ。
協会本の『図書館雑誌』はそれなりに意義はあると思うのですよ。現状の鏡として(大鏡,増鏡の鏡ね。Supectlumの鏡)。けど,それで意味があるのは最初の消息欄と投書欄だけ。でも,おもしろく語るというのは,ないですねぇ。
学会の「図書館情報学年報」はおもろいのか,つーと,はぁ。ツマラナイ……。もちろん学術なわけでつまらなくても一向にカマワナイのですが,主題や論理構成でおもしろくしても一向にかまわないのですけど。
図書館評論の嚆矢は,本コロ(『誰が本を殺すのか』)の佐野眞一でしょうか。図書館大会かなにかに潜入して,善意の集団と化していると批判したのは読ませました。ただ,雑誌連載のときの毒が,単行本化で弱められていたのは残念。
このまえ紹介した『浦安図書館を支える人びと―図書館のアイデンティティを求めて』なんかも,わりと面白く書こうとはしてます。これは別冊宝島『図書館をしゃぶりつくせ』の執筆者たちが書いたんで。
この本は,学術じゃないんだけど,松下圭一の『社会教育の終焉』を引用していたりして,フェアな側面もあります。『終焉』は社会教育という傘をぶちこわした本らしいのですが,社会教育学系の言説では黙殺されているフシもあります。
しかし,この黙殺ってのは,あまりよろしくない。ポツダム宣言を黙殺した帝国政府みたいなものになってしまいますので。
図書館評論』って雑誌もあるんです。これは初期のころのは確かにオモシロイとだけ言っておきませう。で,結構重要文献もあるんですが,初期のものは国会の「雑誌記事索引」に収録されてないので全然参照できないです。