書物蔵

古本オモシロガリズム

大学の出版学講座における出版史論のすすめ――わちきぢゃなくて(^-^;)

ひさびさにオモシロい雑誌特集を読んだ( ´ ▽ ` )ノ

  • 『大学出版』第107号 [2016年7月25日発行] 特集:出版を教えるということ

http://www.ajup-net.com/daigakushuppan

出版の現場と教育の現場 / 永江朗

永江氏は最初、出版人はOJTでしか育たないからあまり気が進まなかったという。

大学では編集技術を学ぶよりも、法律学なり経済学なり、あるいは社会学でも哲学でも文化人類学でも、アカデミックなスキルをある程度身につけたうえで出版業界に入って、本のつくり方や流通についておぼえていったほうがいいのではないかと、現在も思っています。

ただそれでも、大学などで編集術の授業があるのは、出版業界が相対化されるからよいことだとしたうえで、「教育現場の実際」という項目では、

ある学生は、一般週刊誌の比較研究で「週刊誌って、悪口ばっかり書いてあって、すごくいやな気持ちになります」と涙目で発表しました。

というオモシロな事例を報告してくれる。

書店や古書店についての認識もそうです。学生たちにもっとも認知度の高い書店はアニメイトでした。よく利用するという学生とけっして近づかないようにしているという学生がいて、反応は両極端なのですが、とにかく存在は知っている。

もちろんブックオフも認知度高く、中国人留学生は中国にこのビジネスモデルを持ち帰りたいと言ってゐたとか。
とらのあなにはたまーに行くけどアニメイトは使わないなぁ… ん?(・ω・。) ヘンかしら(^-^;)

読者を育てる試み―編集と教育と大学と / 竹中龍太

本論はビブリオバトル(書評合戦)の話なんだけど、もう出版学講座が50もあるのだとか。

(注)『総合ジャーナリズム研究』(二〇〇四年度)および出版研究者の蔡星慧氏の調査(二〇一〇年)によると、「出版」や「編集」にかかわる講座がある大学は、少なくとも五〇以上にのぼる。

知り、考え、パースペクティブを持つこと―大学における出版教育の意味と展望 / 柴野京子

柴野先生んとこでは雑誌論がかなり語られてゐた。

初回のイントロダクションでは、まず講師自身が定期購読していた雑誌を年代ごとに紹介する。『少女コミック』『週刊朝日』『月刊ポエム』『ぴあ』『アドリブ』『ビックリハウス』『本の雑誌』『朝日ジャーナル』『マリ・クレール』『東京人』『本とコンピュータ』『波』『東京かわら版』といった具合で、学生は初めて聞く雑誌ばかりだが

わちきが定期購読してゐた雑誌ってば、学研の科学と学習でしょ、中学からは『ホビージャパン』高校だと『タクテクス』か。大学ではなんだったかな。『マリ・クレール』は親が編集者から直接もらってたんだった(´・ω・)ノ

本の雑誌研究は、編集者や出版者に寄っていたため、雑誌自体の構造分析はまだ日が浅い。とりあげたいがまとまった研究が出ていないものについては、切り口の工夫が必要である。

ほほー
「講義では古い雑誌も回覧しており、反応はよい。」へー( ^ - ^ ) 「古い雑誌」と「古雑誌」では意味はほぼ同じだけれど、語感がかなり違ふなぁ…
「あらかじめ珍本となる雑誌」だっけ。内田魯庵が大正期に古雑誌を称して呼んだのは。

喩えれば登山―書店員教育の(不)可能性について / 福嶋聡

福島は概して外形的な教育は不可能だと考えてゐるやうだが、一方で内的な知識啓発に役立つようなきっかけとしての知識、「矜持と「わざ」を進化させる触媒となる知識」の授業はあってよいとし、なんと出版史など歴史をその筆頭にあげる。

いくつもの取次会社を統合して昭和一六年に設立された国策会社日配︵日本出版配給株式会社︶について学ぶことは、戦時中の当局が何よりも出版物を恐れ統制しようとした事実を知り、書店で働くことに誇りを与えてくれるかもしれない。

などと出版史ストレートな例を:(;゙゚'ω゚'):
竹中氏をのぞく3人の論者がそろって、いま変革期だからこそ、長期変動がわかるやうに出版史を教へなきゃ、と異口同音に言っているのにはびっくりしたΣ(゚◇゚;)