書物蔵

古本オモシロガリズム

同人雑誌=名刺説:プロ文からのうがった見方

  • 木村利美「同人雜誌は如何に編輯、經營されるか」『プロレタリア藝術教程. 第4輯』饒平名智太郎 編、世界社、1930、p.328-

 いつも月初めになると、書籍屋の店頭に、改造・中央公論・新潮・文芸時代、及びその他の営業雑誌の間に雑じって、幾冊かの、新装を凝らした、薄ッペラな、(大抵二〇頁前後から八〇頁、多くて一〇〇頁程度までゞある。中には僅か四、五頁位のものもある。)文芸雑誌が列べられる。「同人雑誌」と謂ふヤツだ。われわれは先づ、その数の多いのに驚かされる。更にその消長――生れカハリの急激さに。「三号雑誌」といふ言葉まで作られた所以である。われわれが東京市中の書籍屋店頭で散見する同人雑誌は、未だ、日本全国で発行されてゐる同人雑誌の中の、極く一少部分に過ぎないのである。嘘だと思ったら、相当永く続いてゐる同人雑誌の「受贈雑誌」といふ所を注意して見給へ。諸君が未だその名さへ知らない様な雑誌の名が、ズラリと列んでゐるから。
店頭でそれをとって見る。先づ表紙が砂塵でザラザラしてゐるのに不快を感じさせられる。売れないのだ。同人雑誌で、その発行部数の半分はおろか、その三分の一が売れゝば、まだ良い方とされてゐる。月々の売れ行、一〇〇部を越えない同人雑誌が随分あるであらう。
所が、この同じ雑誌が仲々なくならない。毎月熱心に、根気強く出され、或は一つの雑誌が廃刊されたかと思うふと、直ぐ又別の変わった同人雑誌が現れるといふ風で、入り更はり、立ち更はり、マコトニ、