書物蔵

古本オモシロガリズム

曝書の歴史の研究史

曝書の歴史を最近2度読んだ。
さっきとこのまへ。
このまへはどっかの学術誌だった。
で。
両方とも結局は次に転載された「曝書史考」の流れなんだけど。

この『曝書史稿 : 書籍保存の歴史』って1970年のものよ。
まがりなりにも1980年代に酸性紙問題で資料保存論が盛り上がったんだから、そこいらの話がまるでない時代なんよ。まあわちきに言わせりゃ1980年代資料保存論も結局、個別技術からでやうとしてでられず、結局ダメダメになっちまったんだが、それでも気づきだけはあったといえる。
いま生きてる人間で沓掛伊佐吉のこと知っとる人なんてをらんでしょ。
ってわちきも書いたもんとてっちゃんの証言しか知らんが(-∀-;)
いろんな気づきには満ちていたが、趣味から出ることができず(=趣味を研究にまで究めることができず)、実はそんなにたいしたひとぢゃあ、ないのよ(*´д`)ノ
わりいけど谷沢永一が指摘してた「司書の学問」。まあ昔ふうにいやぁアレだアレ「外題学問」ちゅーやつだ。
しかしその、じつはそんなにたいしたひとでない1970年のものから一歩もでられん資料保存論って、もっとたいしたことない…(-_-;

2014.8.6追記

気になるから書いとくが。
大沼論文などで明らかなやうに明治20年代に新刊書における洋装本の比率は五割を超える。それ以降はどんどこ洋装本が生産されることになる。一方で図書館といふものは、明治5年に書籍館が、などといふのは、ほとんど釣りに等しく、実際に普及していくのは日露戦争戦捷記念で明治30年代以降。つまりはだ。

図書館において曝書といふは、そも、洋装本の話でしかない

ということ。
では近代図書館における曝書とは何かといへば、

インベントリー(棚卸し)

に決まっとる(σ・∀・)
つまり、図書館において曝書とは数かぞへ(まぁ正確には書架目録カードを読み上げて棚上の本の背表紙と照合するのぢゃが)でしかない。
本直し、はその副次効果としてしか生じない。
なしてこのことが論文とやらに書かれぬのかの(σ^〜^)

しかしそれも道理で

わちきの嫌いな数かぞへ(counting:カウントすること)。
これ、なんのためにするんだと思う(σ^〜^)σ
Accounting(アカウンティング:会計報告)のためにするのぢゃ!\(◎o◎)/!
つまり、本が無くなってませんよ(or何冊なくなってますよ)と報告するため。
ここいらへんのことは、戦前の林靖一の一連の著作を見ればよい。
しかるに…
戦後、このアカウンティングとしての曝書は論じられなくなってしまふ。
ん?(・ω・。)
にゃんでかって?(σ^〜^)
それは日本近代図書館史のスキャンダルぢゃよ(σ・∀・)σ
これぢゃあ、よっぽど覚悟がなけりゃあ、図書館における曝書の歴史なんて書けぬわけだわ(-∀-;)