書物蔵

古本オモシロガリズム

ヒトラーも確に聴け! 日本でも焚書!


この本(以下、「出版異聞」)を読んだが、結論にどうも納得がいかんかった(*´д`)ノ

この本の全体は、昭和17年末に出た次の本の本当の訳者は、書誌にある「小生第四郎」でなく、別にいるのではないか、というもの。

  • 印度資源論 / P.A.ワディア, G.N.ジョシ著 ; 小生第四郎訳. -- 東京 : 聖紀書房 , 1942.12. -- 2, 1, 5, 463p ; 22cm. -- (BN04766620) ; http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN04766620

著者自身による紹介文(東京新聞)によれば…

〜それで、小生第四郎とは何者かと調べていくうちに、思ってもみなかった世界が眼前に開けてきた。それは堺利彦や弁護士・布施辰治の周りに群がる、学歴らしい学歴もない、文字通り「雑草」のような知識人たちの世界で、彼らのしたたかな生き方に強く関心をそそられた。『印度資源論』の版元、聖紀書房・社主、藤岡淳吉もその一人で、彼の図太(ずぶと)い生きかたを追ううちに、これら「雑草」的知識人たちが生きた戦前の出版の世界へと関心が広がっていった。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/jicho/list/CK2013091002000242.html

と、いうことで、小谷氏は本当の訳者として、戦前は満鉄の調査マンで、戦後、国会図書館員だった枝吉勇という人をひっぱりだしてきたのぢゃが(。・_・。)ノ

枝吉ではないと思う(  ̄▽ ̄)→東京堂へ急げ!!!

小谷氏はいろいろ調べて、『印度資源論』の本当の訳者は枝吉勇ではないか、という結論を出している。けれど、わちき、別系統の調べをして、別の人が本当の訳者だったという結論がでたので……

  • 書物蔵「真相はかうだ! 藤岡淳吉の日本焚書は片隅で/『印度資源論』のホンタウの訳者は『文献継承』(23) p.8-16(2013.10)

という駄文で、その根拠や結論について書かしてもらったのぢゃ(o^∇^o)ノ
おかげで連載「あったかもしれない大東亜図書館学」は一回休みにしちった(^-^;)
昨日、東京は神保町なる東京堂に、『文献継承』23号の無償配布をたのんできたので、東京堂へ行けばもらえるかもしらん。おそらく2Fの喫茶室まえ踊場か3Fエレベータ前の無償配布棚だと思うが……

余談の事件、共生閣の日本焚書

わちきも、小生第四郎は本当の訳者ではないと判断するが、結論の違いについては拙文を見てもらうこととして、小谷の自著紹介文にあったように、「出版異聞」では藤岡淳吉という人のオモシロき「問題」が触れられとる。
それを、

藤岡淳吉問題

という(^-^;)
ん?(・ω・。) わちきが付けたネーミングぢゃないよヾ(^∀^;)
これも拙文に書いておいたのぢゃが、昭和54年に山本博雄という人によって名付けられた(。・_・。)ノ

藤岡淳吉の主宰した出版社・共生閣は、昭和初年、左翼出版社の代表格であったにもかかわらず(浅岡邦雄氏のいう「三閣」の一つ)、昭和8年に転向し、その記念に、

昭和8年5月 日比谷公園焚書

をしたと、当時の『出版年鑑』にあり、『出版百年史年表』にも載っていたんだけど、その年表には「不許可」と誰の情報だかわからん注記*1がついとるし、

昭和8年5月に日比谷公園であったとされる焚書は、実際にはなかったのでは?

というのが藤岡淳吉問題の主要な要素。

焚書ぢゃーヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャ

ちやうど同じ年の同じ月にナチがかの有名な焚書をしとったから、それとの連想でもキョーレツなイメージがあるんだけどね(画像はインディ・ジョーンズのナチ焚書場面)


で、1977年に山本ヒロオが、新聞記事がないないと言って以来この方、出版史がらみでは「焚書なかった説」が優勢になってをった。かの浅岡先生でさへ、

それから共生閣は藤岡淳吉とありますが、この人には面白い伝説があります。
昭和8年頃、それまで自分のところで出していた左翼的出版物をすべて日比谷公園焚書にする、燃やしてしまったと言われています。
実際はそんなことはしていないのですが、出版史の中ではそんな伝説が今も残っています。

としてをるのぢゃが…
まあこれまた拙文参照してもらうしかないのだが、拙文ではより重要な情報を出すために少ししか触れなかった焚書についての重要な記事をここに紹介しておきませう(o^∇^o)ノ
これぢゃ(σ・∀・)σ

ヒトラーも確に聴け! 日本でも焚書


ここに掲げたるは、共生閣主、藤岡淳吉による転向記念の焚書を報じる記事なり〜(o^∇^o)ノ
いや、実は(。・_・。)ノ 
この記事、1970年代の熱心な図書館員なら、実は眼を通したかもしれない本にフツーに載っているのであーる(拙文参照)。
で、上記図版でたしかに焚書があったやうな気分になるが、よく見ると、5月18日の、焚書願い出の記事であることがわかる。
ん?(・ω・。)
ぢゃあ、焚書の宣言はしたとしても、焚書の実行はしとらんぢゃないかってか(^-^;)
ス、スルドイ(σ^〜^)
でも、わちきもそー思ったよ(σ・∀・)σ
だ・か・ら!
さらに調べたら、ナナナナ、ナーント\(◎o◎)/

1933年6月15日(木)の午後3時、東京の空に左翼本を焼く煙が立ちのぼった

ことが、判ったのぢゃ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪ さわぎすぎかのc(≧∇≦*)ゝアチャー
そこいらへんの事情やら調べ方やらも、『文献継承』の拙文に書いといたのぢゃ。ってか、
あ、さうさう、文献継承、この23号から400円になっちったので、文圃閣から買う場合にはご注意ね(*^-')b

*1:拙文で情報源の推定をしとるゾ(σ・∀・)