書物蔵

古本オモシロガリズム

「代謄写」のよみ

俳句と日本の知的生産

私のところに、昭和十八年五月につくった「いとう句会壬午集」という小型の句集がある。〜同じく平ぐけにしたわしを二カ所に通して、綾に結び、題簽は久正雄氏が筆をとっている。奥付に「以印刷代謄写」(いんさつをもって、とうしゃにかう)と記してあるのは、戦前のこういう私家版の恒例であった。限定六十部とあるが、句ののっているレギュラーが二十人だから、一人に三部宛しか、ゆきわたらなかったわけだ。
戸板康二「句会で会った人-5-渋亭と甘亭--いとう句会-3-」『俳句研究』53(5)pp.14〜19(1986-05)p.14

俳句てふはわちきは全然趣味ぢゃないが、日本人の歴史を閲するうへで、じつは重要なのである。もちろん文学趣味のまったくないわちきは、俳句そのものはどーでもよくて、日本インテリや日本趣味人、あるいは一般人のなかでも読み書きができる人が句会に参加するということのほうが重要で。
だから、句会についての回想録から、学術も含め、出版、著作など、日本の知的活動の裏方が垣間見えることがある。
上記の文章は、次の句集の発刊経緯だが、「代謄写」の意味、読み、どの程度の部数のものか、といった情報がわかる、出版史上おもしろき記述。

わちきがよく見るのは、表紙だが、ここでは奥付に刷り込んであるとある。
だから例えば同じ文章で、かの丸木砂土(筆名)は、同人のだれそれ、といったことも書いてある。
ほんたうは、こういった句会についての回想なども相ざらえして、日本著作者名鑑を作るべきなのだなぁ…