書物蔵

古本オモシロガリズム

日本近代書誌学の成立いまだしぢゃ

と、さんざ嘆いたら、

日本古典書誌学だって、もう昭和初期、「書誌学会」の連中がやりはじめて、やうやく、立派な辞書ができたのが近年ことですよ

と慰めらる。
いやさ、昨日、オトモダチが集まりて、「内務省納本月報」に注目するんなら「ブックレビュー」「ブックマン」という題名からのほうが好みだとか(三者は同じ雑誌)、愛書趣味でなく出版業界史からアプローチすんなら、それよか「図書週報」のはうがよっぽど業界誌だとか、普及が遅々としてをる「文圃文献類聚」も、近代書誌学成立の50年後の未来には評価されるかもしれぬとか、かやうなることどもをくっちゃべりての話(。・_・。)ノ
きのふ神保町にて、山岸徳平の追悼録かなんかが出てて、ヌートリアくんがこれこれとていったらさすが書誌鳥も気づいてて、わちきはそれを見た途端、1980年代に岩波全書のこれをみて、

書誌学序説 (岩波全書セレクション)

書誌学序説 (岩波全書セレクション)

なんだかよくわからん、それに、近代の本のことが書いてない…(=゚ω゚=)

と、おほいに飽き足りぬものを覚えたことを憶えてをる(*゜-゜)
いま思ふに、そもそも、

日本でだけ勝手に書誌学から近代版本を切り離して、前近代限定書誌学でしかないものが、限定句なしで詐称されたまま書誌学と称されてゐて、それをだれも批判せんという学的怠慢が全面化してをったのだなぁ

とやうやく近年気づかされたことなり(。・_・。)ノ
日本近代の部分も学として概成されてはじめて、日本に限定句なしの「書誌学」が成立することにならん(σ・∀・)σ
さう考へてみると、1990年代における日本書誌学協会の成立と解体は、学の形成途上における重要な出来事として総括が必要とおもはる。

学燈が途絶へる瞬間を訊きだす

近代出版物、その制度(法制・業界)といったものについての知見は、大書痴斎藤昌三などにおける愛書趣味界に蓄積されつつあったことは知る人ぞ知る。
で、このまへ稲てっちゃんとこで友人らが書庫整理の間、わちきが一手に話をしていたんだけれど、どうやら少雨荘、勝田三蛮と国会図書館に受け継がれてゐた近代書誌、出版史研究の流れが――現在は絶へだへに絶えてをるが――その次につながる可能性があったやうなのである。
話では「出版のあゆみ展」を図書館研究所あたりなどがやることになった際に、もちろんのこと稲てっちゃんが担ぎだされたのだが、自らも出版法制史年表を作ったりして稲てっちゃんも熱心に世話した職員がいたと聞いてびっくりΣ(゚◇゚;)

PeterとかSatoとかいふらすぃーが、稲てっちゃんから学燈を継ぐ立場にあった人々はどこへ消えちゃったんだらう(。´・ω・)?
ほかにもあそこにしかなかった地図図書館学の学燈なども鈴木純子女史よりあと誰が継ぐべきだったのかすらん(*´д`)ノちやうどその頃、当時まで下らない資料とされていた(って、国会の広報誌にそうちゃんとある)マンガという資料形式を評価するようなこともやっていたわけであり、かやうに、本来、日本近代書誌学へと統合さるべき部品が、人的継承関係によりテ、あるいは資料の集積から自生的にそろいつつありながら、それらが、あくまで部品や半製品のまま、あとかたなく雲散霧消するといふのも悲しいが、それを――つまり、decline and fallをば――トレースするのも、じつはわちきの趣味だったりするc(≧∇≦*)ゝ
成功譚といふのはみな、書きたがるけど、失敗譚、といふか失敗学といふのは、みないやがるからね。そこがつけめぢゃねらいめぢゃ(σ・∀・)σ