書物蔵

古本オモシロガリズム

赤春堂と三土社は古書展同人仲間だった!


次の記事を読むと、いろいろオモシロな
人物がでてくる。

まづ山路らがやっていた古書即売会「烏合会」のメンバーだけど。

泉屋石原 1974年当時、製薬会社社長
染野松五郎(池袋) 1974当時、故人
山本松次郎(来利屋、小石川) 1974当時、故人
鳥谷部三土社(江古田) 1974当時、故人
甲南堂星野(牛込) 1974当時、故人
北隆堂(大塚)
赤春堂

ほへーっ! 鳥谷部陽太郎がいるぢゃあ、ないの。そんで、この元アナキスト鳥谷部の古本屋時代の話が少しわかるのだわいわい。
烏合会は、初期のころは某化粧品会社の一室(本郷)でやってたとのこで、石川巌も――古書店として?――加わったり、宮武外骨も客できてたりしたとのこと。それが、第一相互(銀座)の三階に移り、さらに古書会館(図書倶楽部?)の二階へ。太平洋戦争開戦のときも古書展をやっており「三土社などは万才〃と歓喜してゐましたが」とか。
アナキストでも、日米開戦で「バンザイ!」なんだぁ…
烏合会の出品は多く明治期の出版物で、「貴重文化財とは程遠い品ばかりで、云はゞ紙屑に毛の生えたやうなもので、蘇峰先生の評言の通りでしたが」とも。蘇峰が「「何んだ、この展覧会は紙屑屋の集まりではないか」と第一相互のエレヴェータで云っていたと、「三土社が憤慨して話してゐた」そうな。三土社鳥谷部は、近代文献の古書的価値に想いをいたしていたのだらうなぁ。
わちきも、根っからの近代文献主義者で、和古書を無意味に珍重するのは好みでない。けど、古典籍の連中って、価値観が外部注入されとる連中がおおいから、そうなっちゃふんだろうけれど。

神田の展観はいふなれば、いづれ一騎当千の同業諸氏が時間前から梯子段のところに並んで押しくらまんぢゆうの有様で、時間が来て通せんぼの紐を外すとワツとばかりに会場になだれ込むのですが、そんな折にいつも先頭切つて飛び込んで来るのは若かりし頃の明治堂の勇姿で、

などと、たのもしき近代文献主義者、明治堂こと三橋猛雄の若いころがでてきてたのし。
明治前期思想史文献 / 三橋猛雄編. -- 東京 : 明治堂書店 , 1976.7. -- 30, 1056, 72p : 挿図 ; 22cm. -- (BN02692567) ; http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN02692567
このまへ拙ブログで話題にした形田藤太もでてくる。
「ご存じでしょうが」鳥谷部陽太郎は「大正畸人伝」を書いた人。本人も「畸人」だったのかなぁ…
ユカイな畸人たちに囲まれをるけふこのごろ…
ちなみに、反町弘文荘『蒐書家・業界・業界人』によると、昭和10年代後半、「明治物業界」は空前を盛り上がりをみせたが、日米開戦による徴兵と徴用が、「比較的に後進で、若い人たちの多かった明治物業界にとっては殊に大きな打撃」だったという。