書物蔵

古本オモシロガリズム

三島由紀夫の書誌観

戦後の文学全集では、この「年譜」が付録として必ず入るようになった。だが〜不完全なものが多く、やはり付録としての価値しかないようで〜

三島には全集付録の年譜が10余点あるとしたうえで、共通の欠点があるという。

昭和二十年代以前の単行本未収録の作品がほとんど脱落している。三島氏の校閲を得たを自称している最も詳しい年譜にしても、この時期の不完全さが目立つ。

ということで、三島と一緒に書誌を作ることになったそうな。

三島邸でこの書誌の編集打ち合わせの際、三島氏は自分の書誌観を語り、書斎と書庫には自分に関する全資料があるので、これを使って完全な書誌を作るよう希望された。だが、氏は自分の書誌を見ずに逝ってしまった。

残念ながら三島の書誌観なるものの詳細はここに書いてないが、

氏自身の著書、作品掲載誌、または氏の関係記事掲載誌などの表紙に「平岡」あるいは「K・H」の記号がつけられて〜これは書誌制作途上大変参考になった。

つまり、記事の載ったものは保存されてあり、それに自分のが載ったよとのしるし(とおぼしきもの)があったので、これまた残っていた創作ノートと照らし合わせて、ペンネーム「平岡青城」が逆算できたというわけ。