Mさんの仲介にて入手したる『渋谷近世』第21号「特集・朝倉治彦先生追悼特集」を読んだ。オモシロかった。
おほ昔、「朝倉治彦さんて居ましたよねぇ」といふたら
ボクはあの人を評価しません!(*’へ’*)
と、おほいに怒られちゃったことがあって以来、いったいどんな人だったんだろ、と興味を持ってきたのであった(´・ω・)ノ
昨年みまかり、さて追悼録は出るべぇかとおもふたらなかなかでず、われわれのまはりでは、「結局、こつうOBA氏のもの以外、出ないんぢゃないの」とささやかれていたのが、出たのであった。
『渋谷近世』といふのは、国学院の、近世文学研究会の機関誌であるそうな。
特集・朝倉治彦先生追悼特集
- 前書 / 中村正明
「教職以上に、その膨大な数に上がる著作で広く知られる方であった」という。「そしてまた、非常に広範囲にわたる研究対照も驚異的なものがあった」と、その「広さ」を強調している。- 【講演】仮名草子について / 朝倉治彦
- 朝倉治彦先生 経歴と研究業績年譜 / 朝倉ふゆみ・柏川修一
朝倉治彦自身の稿本を増補したもの。経歴事項が○で示されていてわかりやすい。たとえば「昭和二十四年(一九四九)二十四歳○十月 上野図書館に勤務 整理課和古書係に配属。」とか。1986年の項には「○六月三十日 国立国会図書館退官。」とある。61歳とあるから、当時としては――話では当時、定年はなかった役所で、慣例的に65歳ぐらいで退官したという――早かったようである。1986.1.17には、「出版記念会を、八木福次郎氏のお力により出版クラブにて開催。井門氏の協力を得。」とある。こんなところに我らが福次郎氏が! 「井門氏」とは「井門寛」氏ならん。Mさんの指摘だが、朝倉治彦先生追悼寄稿