書物蔵

古本オモシロガリズム

古書目録一般蔵書から特別蔵書を創った話 2

古本の知識はないけどオモシロがりずむ(σ^〜^)?

千代田図書館とは何か─新しい公共空間の形成

千代田図書館とは何か─新しい公共空間の形成

この本の、p.52-54に、内務省委託本のことが、「内務省検閲本」として出てくる。それによると、柳与志夫は最初、委託本のことを知らなかったという。
最初は、直営末期の「開架資料を見て、その貧弱さと古さ」にびっくりし、多少、新刊を買っても、その蔵書内容、つまり開架の新しくて十全な充実ぶりで新図書館サービスを構成していくことはむずかしいと思っていたそうな。
ところがぎっちょん、書庫にはいって閉架図書をみたらバ、

私自身は古書趣味もなければ書誌学的知識もないが、それでも書架上に戦前期の面白そうな資料が並んでいるのがわかった。(p.52-53)

という。
ん?(・ω・。) わちきと正反対なオモシロガリストか?(σ^〜^)

フシギな来訪者――研究する図書館員

で、どうやらその前の頃らすぃー、出版史研究者の浅岡邦雄――当時、白百合女子大の、なんと図書館員とぞ(@_@;)――が訪れて、「これハ委託本といふて由緒ある書なれバ、再製本せずにおくがよからう」と「部外者」(p.54)なのに指摘してくれたのだという(・o・;)
その浅岡先生の上訴により、直営下での再製本は止まり、そして急転直下、「面白そう」というレディネスが形成されていた「政策屋」たる柳与志夫が「目玉コレクション」(コア・コレクションとしての特別コレクションのこと)として取り上げることになったということださうな(*´д`)ノ
ん?(・ω・。) なんでフシギなのかってか(^-^;) だって日本ぢゃあ、図書館員は研究なんてせんことになっとるんだもの(σ・∀・)σ
わき筋だけど、『外骨研究』の揃いを古書展で拾って以来、研究司書時代の浅岡氏の業績をば、開陳してほしいと思ふてをるのハ、ここだけの秘密(o・ω・o)

直営と民営のはざまで

で、じつは細かく時系列を考えると、直営の最末期に外部の申し入れ
(かきかけ

専門知からテマヒマ投入へ

ただの「戦前期の面白そうな資料」が、「内務省委託本」と認識されることで、混排(マージ;溶け混ま)されている中から「抜き出して〜〔特別〕コレクションを構成する」なんちゅー手間とヒマとカネ(まあ要するに税金)が投入される枠組みが設定された(σ・∀・)σ
当時、最初からの特別コレとしてあったのは内田嘉吉文庫(西洋稀覯書)、反町茂雄の古書目録だったが、内田文庫などは区長から、売っちゃったらぐらいのことを言われたという。つまり、特別コレが、館のアイデンティティーのコアと無関係で、ただのお余りとしてしか認識されていなかった。
内務省委託本といふものがバラバラに一般コレクション中にあるといふことは、これは、すでに『千代田図書館八十年史』(1968)に鈴木理生こと鈴木昌雄氏(同館司書)で詳述されていたことであったが、その事実が指摘されていることと、それを組織として目玉にすることとは、直結しない。
で、そこにさらに一般コレから手間とヒマとカネをかけて委託本を抜き出して、さらにひとつ特別コレクションをつくるという、フツーの図書館員なら基地外沙汰としかいえないことをしたわけ(。・_・。)ノ で、これがよかった(*´▽`)

コア・コレクションとしての特別コレクション

ある読者の表現を借りて、お余りでない特別コレクション、コアとしての特別コレクションを「目玉コレクション」と呼びたい。
そのままちょっこし新刊を買っても、貸出しビリッケちっちゃな区立図書館ができただけだったところ、現在にいたるまで、研究報告やら講演会やらが行われるネタとして内務省委託本が機能しているやうである。で、ここで強調したいのは。
1)専門知と政策欲の融合から、それまで存在しなかった戦前本の特別コレクションが、あとからできた、というか造った。
2)個々の委託本が来館者に必ずしも読まれなくとも十分に、館のサービス構成の主要部に貢献する特別コレクションとなってきている。
ということかしら。
この目玉コレクションがあるがゆえに、全国的に有名になり、研究者も遠方から来、その研究者の講演などに一般客も来るといふ、特別なのに一般性があるという… これこそ、スーザンさんが云ふてゐたコア・コレクションとしての特別コレクションでなくてなんであらうか(o^∇^o)ノ

ん?(・ω・。) ちと甘い(^-^;)?

ぢゃ、ちと批判をば。でも、直営時代の批判なんだけどね。初代を「政策屋」二代を「事務屋」と図書館員の愛弟子さんは云ふケレド、それでいーぢゃん(σ・∀・)σ 政策屋てふ受け皿ないし意思決定者がをらんかったら、来訪者の指摘など虚空に消えてまふ。直営時代、委託本があること自体は公知のことでありながらも、その末期に委託本がうけた仕打ちといったら。。。
ここだけの話(σ^〜^) じつハ、わちき、直営時代の書庫に這入ったことあるんよ。

これも以前、旧千代田図書館の書庫に潜入した折、内務省委託本(戦前の、検閲用納本の正本!)が軒並み、1980-90年代のバカみたいに無味乾燥な諸製本で再生本されてキレイキレイになっているのを見た時は、納本正本がここにあったか、と驚くと同時に、いや、それ以上に、ほんたうに腰がぬけるほどあきれ果てたことですよ。
司書を僭称するクラーク

わちきが今はなき千代田区役所庁舎に潜入し、併設されたる図書館書庫にもぐりこんだハ、直営時代の最末期であったか……(*゜-゜)
上記をもっとわかりやすくいいかへると、

一般コレクション中に散在する〈委託本の見返し紙〉として大量に残存していた貴重な1930〜40年代の内務省検閲の決裁文書が、おバカなクラーク司書よって、1980年代あたりに予算をかけて丁寧に焚書(それを学者司書が止めた)

されていたのである。それを遍歴時代(?)の学者司書が止めるやう献言したので被害はとりあえず止まったが、その後、目玉にならなければどうなっていたことか。
で、いま残っている委託本、キレイキレイに改装されている本の多くは、決裁文書そのものだった見返しページがなくなっているのだ。あゝ、なんといふもったいなさ…。・°°・(((p(≧□≦)q)))・°°・。

やはり経営戦略が

作戦や戦術レベルできちんとやって意味があるのは、戦略レベルの枠組みがきちんと設定されてないといけないといふこと。どんなにきちんとパールハーバーを奇襲しても、それだけでは褒められない。むしろアメリカさんとどう講和するのかという絵を同時かそれ以前に描いておかないと、きちんと行うこと自体が大枠で大間違いとなる。。。

またぞろ。。。

ン(´・ω・)ここまで考へたら、直営末期の文化破壊とまったく同じ図式のことをやった話を聞いた記憶が。。。
大きすぎる図書館で、所蔵本の全ページを全部メクルといふ、とーていボランティアやルーチンではできん作業がなされたさうな。もちろん膨大な予算で。
すると、そのページからいろんなものがでてくるわけで。。。それらがなんだったのか、それらをどーしたか、という話(。・_・。)ノ
司書を僭称するクラークがここにも。。。(σ^〜^)

翌日追記

すこし訂正しますた(`・ω・´)ゝ