書物蔵

古本オモシロガリズム

まともな指定管理者批判

後藤とおる(暢)さんが、『出版ニュース』(2012.12中)に指定管理者論を書いている。
毎日新聞(11.26)の読書輿論調査で、図書館委託を支持するひとが半数を超えているという結果を引用しつつ、

こんな場合に、ただ直営の利点を叫んでも、市民には通じない。

と極めてまっとうな情勢判断をしている。わちきは悪の直営維持派であり、後藤さんはおそらく善意の直営維持派であろうから、わちきが誉めても喜んぢゃくれんだろーが、きはめてマットー。ってか、このまっとうさが実はレアであるところがギョーカイがダメになっていた証左であらうかと(σ^〜^)
指定管理者だと、長期的には図書館行政(まあ、ガバナンスだわな)がダメになるが、運営(マネジメンのこと。経営管理)の現場は短期的には「改善したように見える」し、同様なことは「各地で耳に」したと後藤さんはいう。
で、後藤さんのまっとうなところは、「さらに考えてみると、このような行政〔図書館政策〕の劣化は、指定管理者導入以前に始まっていたのではないかと思えるケースが」と、じつは直営時代からダメダメだった自治体があるのという事実を認めるとこ。
後藤さんが資料費を強調しすぎるところはおいといて、管理者導入のために長期計画をうちだしていた千代田とかをきちんと、悪の指定管理者一般から除外していたり、なかなか面白い論点を出している。ご一読。

利益があがらんのは17条のせいぢゃないよ〜

おなじ出版ニュースの2012.12上旬号で、嶋田学氏が連載「図書館」で(p.18)指定管理者制度を批判しているんだけど、後藤さんのと比べて、部品は似てるんだけど、組立てがわるい。
たとえば指定管理者批判で、

とりわけ図書館法第17条により収益活動が展開できないことから、指定管理者が利益を出すためには人件費抑制が唯一といっていい調整弁となる。

と書いていて、これは後半「利益のためには人件費を削るしかない」という現行制度批判は正しいんだけど、それが法17条による、というのが論理的におかしいし(著作権法の改正で文献の貸与権が認められたんで、本の貸出でカネもうけできなくなったのは図書館法というより著作権法のせいだし、本の貸出でないくともグッズを売ったりいろいろ金儲けの算段はあるはず)、政策論的にも「無料原則」護持にとっては不利。
だって、17条があるから収益あがらない、というのがホント―なら、さっそく、法17条を廃止する、という方向性をうちだすのが正しい官僚・政治家だもんね。いまは小泉時代ぢゃないからいいけれど、かような立論をすれば、17条はあっとゆーまに改正されちゃいますぞよ(σ^〜^)σ
もちろん、ドイツやベルギーで貸出に金とっとるし、社会主義(?)中国では、閲覧にすら料金をとるという。図書館における無料原則は、あまり民主政体の維持と強い関係はない、と事実からいえるのではあるまいか。

2013.1.2追記

貸出し(文献の貸与)の「無料原則」が必ずしも絶対でないと気づいたのはいつのことだったか。わちきとて閲覧や貸与が無料であることが(結果として)よいことぐらいは認めるんだけど、これ、司書過程の教科書や図書館史の発展段階史観では、無料化=進歩、とされちまっていて、1970年代型運動家の教条にもなっとるから、この「無料原則」に疑念を呈すると怒っちゃうんだよなー。
次の文献を読んで、いままでもこれからも、図書館サービスの個々のものが、無料なのか課金されるのかは、そのサービスの性格付けによる、つまり、相対的なものでしかないことがわかる。

いままで図書館で金をとってこなかったのは、図書館サービスが原始的なものにとどまっていたからなんだなぁ。