書物蔵

古本オモシロガリズム

レファレンス・スキルの「がふりてき」といふこと

うーむ、おそるべし井上真琴……

つれづれにこんな文献を見たら、レファレンス・スキルにつきて、びっくりするやうな指摘があった(+o+)

  • 井上真琴. 「インフォプロ」の自己トレーニングを考える. 情報の科学と技術. 63(4):2013. 130-136 ISSN 0913-3801

ダメなプロ、プロになりきれないプロは、既に固まっている理論や技術を、自分たちの論理で適用し、道具的な利用で問題解決を行うという。〜ドナルド・ショーンは、これを「技術的合理性」による行為と批判し、乗り越えるべきものと主張した。(p.135)

ここを読んでびつくり(@_@;)
わちきが、「合理的検索手段」が云々と揶揄的に指摘しとるのと、ほぼ同じ図式ぢゃないの(σ・∀・)σ
もちろん、「合理的」云々に一定の効能があることは認めるが、事務員ならともかく専門職なら、つねにそれを超へようとする姿勢が大切で。ちょっとでも超へやうとするところから、新しいツールや解法が生まれるということにならう。
これはさっそく井上氏がひいとる次の文献に目を通さねば!`・ω・´)o

  • ドナルド・A.ショーン 著 ; 柳沢昌一, 三輪建二 監訳. 省察的実践とは何か :. 鳳書房, 2007.11. 440p ; ISBN 978-4-902455-11-3 :EC172-J3
  • ドナルド・ショーン [著] ; 佐藤学, 秋田喜代美 訳. 専門家の知恵 :. ゆみる出版, 2001.5. 229p ; ISBN 4-946509-26-7 :EC172-G48

これは国文学研究で華々しく火花をちらせた「方法論論争」にも似てをる。
わちきが2005年に拾った文献によれば。
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20050215/p3

方法論論争ってのは,三好が「若手は(開発ずみの)方法論を使え」といったのに対して,谷沢が,「文学研究に決まった方法論なんてない」と反論したといふこと(とりあへずこの文献によれば,だけど)。

井上氏は、たとへば仏教がらみのある現象につきて調べるのに、先行文献やそのもの自体を出してくるようなDBがなければ、おなじ地域を対象にした神道文献を使えとか(神仏混淆を前提知識として持っている)といった事例をだしてくる。
井上氏のいう「ダメなプロ」ってーのは、ガッコーで教へてくれる必要最低限の論理や技能を適用して、「能事畢矣(のうじおわれり)」とする態度のことをいうのだろう。
もちろん、現状の「司書課程」では、とても米英のlibrary schoolレベルのこと(=基本的なこと)すら身につかないんだけれどね(まぁ、図情学の「専攻」なら知識だけはつくが……)
井上氏も文中の他の箇所でいふやう、文脈にそった知の発露(knowing)が大切で、知識・情報自体は、
定番の処方(技術的合理性)でユーザの知の病(知りたいこと)が治る(わかる)んならいいけれど、実は定番の処方はアタリマエとしても、それで解けない場合にどーするか、といふことを、司書課程のキョーカショには書かれてこなかったんだなぁ。。。(って、わちきに言わせれば、それを書けばいいだけの話)。
1990年代前半、図書館学のお勉強会に「標準化の会」ちゅーのがあったけど、標準化っちゅーと、一歩まちがうと「ダメなプロ」を量産化しかねん。むしろ「共有化」といったほうがよかったらう。