書物蔵

古本オモシロガリズム

創刊号コレクター裏川大無(190?-194?)について


本名:吉太郎(きちたろう)。昭和前期の司書。生没年不明。雑誌の創刊号コレクターで有名だった(5000余種)。献辞のコレクターでもあった。
よみはウラカワ・キチタロウ。これは青聯の名簿のローマ字によるから確か。大無はおそらく、タイム。ダイムかもしれない。
趣味:歌舞伎、古本漁り
義太夫物の文献を収集

年譜

幼少の頃 雑誌に興味を持っていた(裏川1931)
創刊号収集開始時、九州にいた(裏川1931)
昭和元年 この年、創刊号収集を始める(裏川1931) 
昭和3年ごろ 台湾に渡り、台北帝国大学司書を勤める。(裏川1942:27)
昭和6年 台湾日日のインタビューを台北帝大官舎で受ける(裏川1931)
昭和8年 文化祭の創刊号展に協力
同年 『愛書』初期の号の編集を西川満と一緒にやっていた
「明治三十年代の台湾雑誌覚え書(一)」(『愛書』第1輯、昭和8年6月)
「同(二)」(同誌第2輯、昭和9年8月)
昭和9年9月 青年図書館員聯盟に入会(山中樵・市村栄の紹介)台北市水道町7在住「雑誌学の確立」に興味 (青聯会報)
昭和10年 「台湾雑誌興亡史」(『台湾時報昭和10年2月-7月、10月-12月)※リプリントあり『日本統治期台湾文学文芸評論集第二巻』(緑蔭書房、2001年4月)
昭和12春 台北帝大を退職 公共図書館に職を求める (青聯会報S12.8)
この頃、創刊号コレクションを打ち切り、献辞の蒐集を始める。
昭和12年 神戸市立図書館に勤める
? 雑誌蒐集趣味の会「雑誌愛好会」(主宰:辻井甲三郎)に入る。
? 趣味誌『同好』を落合重信(戦後、神戸の郷土史家)と出す。
昭和14年5月 日本野鳥の会神戸支部 支部小林桂助氏、幹事は重田芳夫、裏川吉太郎
昭和15年 神戸市圖書館施設の擴充 : 百萬市民の書齋として / 裏川吉太郎著. -- 同好,1940.5. -- (同好 ; 別冊第1輯) 
〃 「図書館異聞」(『書物展望』昭和15年10月)
昭和16年 (「読者通信」書物展望. 11(8)=(122)1941-08) 淡路の詩人土居光華について
〃 神戸市立図書館を退職。『同好』別冊が上司の逆鱗に触れたため。
昭和17年 旅順に渡る。旅順高等学校図書課に勤務。
〃 「献辞の表情」(『書物展望』昭和17年7月)
昭和19年 転職し、北支へ(青聯の名簿(昭19、辞職、目下北支方面二勤務中)とある。)
〃 以後、不明

裏川についての文献

落合重信 「泥酔:故裏川吉太郎氏のことなど(気ままな読書;25)」『歴史と神戸』20(5)=(108) (昭和56年10月)

戦後の裏川が依然として不明であること

ネットで次の記述を見つけ、スワ戦後の裏川の消息か、と驚いたことであったが。

裏川大無は、旅順だよりの中で、船の中にシベリアジュリンが迷い込んで来たことを伝えている。裏川は戦後、日本野鳥の会神戸支部の設立に尽力した。
http://homepage2.nifty.com/t-michikusa/bird&soldier.htm

国会で一度、戦前戦後の「野鳥」をざっと見たところでは、やはり「戦後」ではなく「戦前」の間違いならむとぞ。
戦前、神戸市立図書館の同僚でオトモダチだった落合が1981年に「故裏川」と書いているから、当時落合はもう裏川は死んでいるとしているのだけれど。