書物蔵

古本オモシロガリズム

編集は著者と同じぐらい大事だよ

『パパラギ』(イイハナシダナーと消費された偽書)、ぢゃなかた『ピダハン』が読み物(物語)としても十分面白いように書かれている(まあつまり、パパラギとして読める)、と友人に話したら、エージェントがしっかりやってるからぢゃないかと。

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

いや実際、自分で本をつくってみると編集、ってすごい大事なのよ。もちろんそれが出版会社の中にいるか外にいるか日米で違いは大きいけれど。
出版社の外にエージェントという形でいるんが米国式。
出版社の中に担当編集者といふ形でゐるのが日本式。
でも最近は米国式を試みる人がいるやうである。

編集は著者と同じぐらい大事

たまたま見たネット記事で、特にマンガ、文学で米国流にエージェントで編集を専業にやっていこうという会社が紹介されていて、日本でも新しい動きがあるのねと思ったことだったが。
ちとオモシロかった部分。
作家と編集には実は相性がある、というところで、これは編集からみてこまるという作者さんはこんなタイプという例示。

佐渡島:〔相性がいいのは〕決めつけがない人ですね。
 作家も、僕のような独立した編集者も、勝負のしどころは作品だけじゃないですか。一緒に作る中で、僕が「この場面は面白くない」と思っちゃったときに、ちゃんと話し合える人となら、うまくやっていけます。逆に、こっちが感覚の面で面白くないと思っているのに、論理的に「こうこうこうだから、面白いでしょう」と説得してくる人は、一緒にやっていけないんですよね。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130304/244501/?P=4&nextArw

あはは。
論文ぢゃあないんだし、論文や人文書、一般書だって、読み手の側から受容できないものは困るんだよねぇ。

佐渡島:結構多いです。「ここがちょっとわからなかった」と僕が言うと、「ここは何ページ前を見ればわかるはずです」みたいに、理屈で返してくる。そこ、読んだけどわからなかったんですよ、と、こっちは言いたい箇所なんだけど。

ひとりで書きあげてしまうHPやブログ、同人誌が陥る弊はおおむね、そんなところでしょ。自分が読者なんだから。
で、そういうもんならいい(ってかしょうがない)んだけど、せっかく編集がいるんだからね。
編集は読者代表であると言ってよいでせう。
その読者が、「そこ、読んだけどわからなかったんですよ」と言ってきてるのに、「ここは何ページ前を見ればわかるはずです」なんて言われても。。。
とくにエンタメならば余計にそう。
まあ、他人に読ます事務文書でも、「確認のため説明します」とか言って発出されてんのに、実は書いたご本人さまのグダグダ思考をそのままダラダラ書き連ねてるだけで、読んだって全然わかんないものが多いんだけどね。いやもう、こっちが書きなおさないと、ぜんぜんワカランのよ(´∀` )
はなしもどして。。。

澤本:でも、そうやって議論ができれば別にいいわけですよね。
佐渡島:議論ができれば問題ないです。ただ、議論をした上で直していくことができる人もいる一方で、「あなたは読み方が甘いんですよ」みたいな話になっちゃう場合もありますから。

すげーなぁ、「あなたは読み方が甘いんですよ」って(σ^〜^)
どれだけ大学者なんだ(・∀・)
ちなみにわちきはなるべく書き物へのご意見を受入れてみる方向でありまするする(^-^;)
いや、これ、ほんとにほんと(σ^〜^)