書物蔵

古本オモシロガリズム

昨晩の記事にすこし書き足した

おもにユーモアにかかる部分。
やはりここは日本主義図書館学でせう(σ^〜^)σ
しかしなー(´∀` )
こんな細かい議論、ようやらん。ってか、いちど森さんに分類付与の演習授業でもしちゃふぐらいのほうが、じつは話の前提を共有するにはよいかもしれん(゜〜゜)
わちきも、分類の自由主義擁護でちと深入りしてしまったが、べつに水伝を擁護する立場でもないしのー(*´д`)ノ
なんか、自分が戦前の自由主義者みたいな感じ。

テクニカルかつ機械的な話では(少なくとも分類は)

共産主義者を撲滅せよとてみなが迫ってくる。べつに共産主義が正しいとは思はんけど、法的に問題がなければ勝手にやらせといたほうが我々の自由にとってもお得ですよ、といふてをるだけ。
数日まへ書物蔵は水伝を435.44に戻せといふのかと聞かれたが、べつに435.44が正しいと言ってをるわけでない。現状のNDCの管理状況ではやむをえない処置、まあ妥当な処置だったろうといふことで。
それに論理的には水伝は擬似社会学ならぬ擬似科学なんだから、その意味で4類に置くのはむしろ正しいことになるし。もちろん、-049といったおしゃれな形式区分をつけるという手もあるんだし。
だけど、正誤ならぬ、正邪のはなしにいつのまにかなっちゃふんだよねぇ。そりゃ147*1に入れたっていいけど、それって、超心理学を邪なるものとして蔑視してないか?*2 もちろん水伝が擬似科学でなく、擬似・超心理学だったら、まずは147に項目を見つけるのが妥当ぢゃが。水伝は擬似・超心理学ぢゃないからなぁ。。。擬似・科学。147の下位に水とか特定的な名辞があれば、誘引分類とゆーことでそこに入れちゃふのも手のひとつではあるけれど、それもないし。まあ、あへていえば、147.5念力の項かな。でも、水伝は人間個人の意思が物理現象に影響するといった論法をとってなかったような気がする。むしろ美しい言葉だと自然と美しい結晶になるといふやや機械的な論をたてていたやうな。。。だから擬似・(自然)科学なんだが。。。

「誘引分類」は「誤分類」かで気づいたこと

むしろ、分類実務は正誤ですらなく(いや、めいかくな間違いはあるか。。。いやいや、それも、どの段階での間違いか、つまり主題の把握か、自然語→統制語の翻訳時かも考慮にいれねば)、妥当・妥当でない、ぐらいのものではあるまいか。
ってか、DDCのclassification by attractionの定義にある、inappropriateって言葉が、これ単なる「間違い」「誤り」でないところが、モーレツに気にかかる。むしろフィットとかスィータブルしてないってことだよねぇ(*´д`)ノ

*1:しかし、改めて9版147見たけど、これひどいね。その他なんちゅー十進分類では使っちゃいけない名辞をつかったり、哲学でもないのに人物名の項目を不用意にたてたり、9版委員会がアフォだったちゅーことだよねぇ。

*2:いや、実は、わちき個人は蔑視しとるんだが、組織人として分類を決める際には、そりゃカッコにくくって意思決定しとるふりをするぐらいにカッコつけたいものぢゃて。拙ブログへの「卑しい心」さんの怒鳴り込みで、自分の中の卑しい心はなるべく意識しておいたほうが、むしろそこから遠ざかることができると気づいたのはよかったよ。