書物蔵

古本オモシロガリズム

古本の太客(ふときゃく)、細客

きのふ師走展ではヌートリアさんに出逢った(o^∇^o)ノ
かれは「西多摩政治文化研究所」といふアヤスィー古本ブログを主宰する古本者なのだ。
そのブログに昨年の師走展(ん?(・ω・。)一人展だったかな)についてのうがちがのってをったのでオモシロがって引用。

扶桑書房主催の会は、いつもの週末即売展と参加する客の顔ぶれがちがう。扶桑書房の目録で本を買うようなひとたちがあつまるのだろう。
http://nihon-bunka-center.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-4bf8.html

きのふも思うたんだけど、たしかに顔ぶれがちがふ。じつはいつもの週末古書展より若い(といっても四五十代)のではあるまいか。あと学者風の人がけっこういる。現役の文学研究者がけっこう来ているというのがわちきの見立てぢゃが、Mさんはどういふかしらん(゜〜゜)

たしか目の前のひとは23万円も払っていたので、三千円の本1冊でお会計するのが恥ずかしかった。太い客もってるよなあ

フト客!(≧∇≦)ノ
むかしゃー「ふてぇアマだ」とか、太いには、図太いという意味があったような気がするが(とはいへ、Mさん以外に戦前の言葉を発話する人はまはりにをらんので)、いみが変わったのだろう。ふときゃくとは、おそらくホスト用語で、金払いのよいお客、不況のときにも定期的に遊びに来てくれる客といふところなのだろう。
いまネット上の日本語俗語辞典をみると、

一度の来店における額でなく、月にその店で使う額から決めていることが多い。基準額は店やホストのレベル、価値観によって異なる
http://zokugo-dict.com/28hu/hutokyaku.htm

と注釈があるから、やはり継続性に着目した命名らしい。
日月堂さんなんかも、さういった太客をかかえてをられるのであらうなぁ。はなしゃズレるが、日月堂さんは書いたものより講演のほうが数倍オモシロいといふことはここだけの秘密。
フト客は継続性に着目した表現として、われらは継続こそしているものの、貧乏書生なので(ほんと?)細客といふところかすら(^-^;)アセアセ
今回、本集めをしていた人のまはりに自然にあつまる書誌ものを拾いに行ってたわけなんだけれど、実際、『書物展望』そろいが格安で出ていたので、どれだけ重複あるべぇかと筋斗雲までメモをとりに戻ってるあいだにかっさらわれてしまったのであった(;´▽`A``
やっぱ、古本はまず抱え込まねばならんことですなぁ、とても持てない大きさでも。反省々々( -Д-)ノ
ショーウィンドーに入ってるやうな文学初版本などはとても手がでんので、これを機会とばかりにしばし展観。勉強になる。