書物蔵

古本オモシロガリズム

ソ連軍が来たらさっさと逃げるべし:最終列車のあとにでた社員列車に無理やり割り込み

わちきのぢーちゃんばーちゃんが嫩江にいた話は何度かしたね(o^ー')b
このまへ、ふと思ひたちて情報検索をしたらバ、じつは昭和の御世の最期のころ、嫩江から南下した話をぢーちゃんがある本に書いていたことに気づき、びっくりしたことだった(´・ω・)ノ
そこで早速入手して読んでみたら、話の概略はだいたい聞いていたとおりなんだけれど、嫩江に転任するまへ昭和19年には新京にいたとか、始めて知った細部がたくさんある。もしかするとゴロウタンと道ですれちがっていたかもね。ってか、ソ連軍や満人(ぢゃなかた中国人)の暴徒から逃げ回っとるときにも「多額の費用を出して運んできた書籍」などと書いてをるから、意外と新京特別市立図書館に行ったことあったかも。。。(σ^〜^)

昭和20年8月、北満。。。

嫩江は電圧が低く、ラジオが聞けない。八月九日のソ連軍の侵攻を知ったのは駅の停車場司令部であった。開戦と同時に私の脳裏をかすめたのは、婦人社員や留守家族をいかに早く安全に避難させるかであった。

わがぢーちゃんながらエライっ!`・ω・´)o
ところが警察が国境からの乗車許可証を出し渋り、切符はあるのにチチハル行きの最終列車に間に合わず。。。(´・ω・`)

最終列車の後に無理やり

ところが幸いにも満鉄で十三日は家族引き上げの専用列車を出すことを知り、(略)駅長に強引に談判、女子供二十人ばかりを割り込ませて南下させることに成功した。

とぞ。はっきり書いてないけど、この女子供20人ばかりのなかにわちきのばーちゃんもいたのぢゃ(σ・∀・)σ おかげで斉斉哈爾まで行けた。

もぬけの殻の関東軍

そのあとぢーちゃんが関東軍のとこに行ったらもぬけの殻。。。( ・ o ・ ;)
それから現れたソ連軍の戦車を出迎えにでたり、中国人が略奪をはじめた街から逃げ出そうとしたり、まあいろいろ書いてある。
あほな警察のことを読んだら、去年の震災で平時はいばってをるのにまっさきに逃げ出した副○○とか、例外状況にまったく無為無能をさらけだす○長とか、情報あつめをせず指示待ちで部下の命を無用な危険にさらす○長とかを思ひだしたよ。平時の杓子定規なタテマヘ大好きよいこちゃんが緊急時にいかにアテにならぬか。友人にこの本をみせたら、ある幹部が送る会で野次をとばしていたやうにやっぱ総指令が悪いのだなぁといふ話になり。。。(σ^〜^)

カク・ハティーチェ

それはさうと、結局ぢーちゃんは嫩江収容所長のセミョーノフ大尉に「勝手にせい(Как хотите カク・ハティーチェ)*1」と言われてシベリヤ送りにならずにすんだのだった。ぢーちゃん(とはいえ当時はわちきよりも若い)の命の恩人の名前がわかったことだった。

収容所の乳幼児400人全滅。。。

嫩江に残された日本人たちは悲惨なものだった。

初め四百人位も居た乳幼児は栄養の補給がなくなり、折から流行した麻疹も手伝って全滅した。

あれっ(’0’*) ぢゃあやっぱり最終列車のそのまたあとに出た満鉄の専用列車にわりこめなければ、死んでいたぢゃんわちきの親は(σ・∀・)σ
しかし400人もの乳幼児、全員が死ぬなんて大昔の話かと思ったら、今でも震災後の避難で要介護の老人たちがバタバタ死んで、戦災や震災などはやはり弱者の命を奪うのだなぁと思ったよ。こういった悪い結果をまねかないようにオトナたちは考えねばならんのだろーけど、タテマヘ良い子ちゃんたちに囲まれわちきなぞすっかりあきらめ気味(´・ω・`)

*1:ご随意に、というほどの意味。勝手いにせい、とはおぢーちゃんが私に言った表現のまま。