書物蔵

古本オモシロガリズム

【古本屋】リアル本を手でさわらないと、どーなるか→すでに実験は始まっているやうだ【図書館】

これは友人に気付かされたことであるが、『秦川堂書店総合目録』(平成24年4月号)の「ご挨拶 / 秦川堂書店主人」(表2)に重要なことが書いてあった。

〔昭和40年ごろまであった〕セリ市はロ(ろ)の字型になって本を囲み、やり取りするのですから、身近に本を手に取り覚えられ、業者同士の触れ合いも密になる事は受け合いでした。それに比べると入札制度は、出品され並べられた書籍の全体の見通しがつき何を買うかのバランスも取り易い利点はあります。ただその中でつい眼は自店に関連した物のみに向きやすく、落札値も場内で結果を聞かなくては分らぬ不便さもあり、双方一長一短です。

セリは現物が見られ、相場もわかる。が、せわしない。
置き入札はじっくり考えられる。が、未知文献を学ぶ機能が弱くなる。
まあだから「一長一短」であるとご主人はいう。
ところが今度、あたらしい落札方法が出現したという。

 そしてこの四月には、機器を使ったデジタル入札に挑戦するようです。省力化とは人の手を出来るだけ使わず便利にする事ですが、本屋が本に接する時間、知識を吸収出来る頻度を少なくして良いのか疑問です。経験を積んでいれば、知らず知らずに実績が付いて来る旧来の古本屋のあり方は得難いと思います。業界を省力化・高度化する事により、個々の古書店の持つ能力の低下に繋がらなければと願うばかりです。

デジタル入札で省力化するのは結構だけど、「本に接する時間」が少なくなって、「古書店の持つ能力の低下」が心配だという。

先行事例になりそうな…

ここに格好の先行事例がある、、、か?
うわさでは国会図書館景気対策でついた駆逐艦1隻分の税金を投入して大半の蔵書のディジタル化に成功したという。んでオモシロなのは、登館者はもちろん職員すら現物を見られなくなったのだそーな。
そこで進行すると思われるのは、紙資料の使用法や、紙資料を使用することから生じる知識の蒸発。
まあ縁なき衆生はともかく、あそこの司書と称する連中が無能化するのではないかと案ぜられ。。。
いちど論じたけど、ネット情報(電子本)を使うことだけなら、図書館外の、主題専門家やITおたくに勝てるわけない。ヴァーチャル・ワールドにリアル・ワールドの知識を随時、反映(密輸入)させてこそ、逆に、本物の専門家やITおたくに不敗の体制になりえるわけだが、それがあそこでは構造的に出来なくなるだろう。紙資料の知識があればこそ、ネット情報資源の不備をこえた調べ物ができる(可能性がある)のにねぇ(゜〜゜ )
ってか、メチエ(手技)がない職人なんて、無能な工員でしかないわけで。
まあ、逆にいうと、手技がらみの暗黙知を記述してしまうという手もなくはないんだけどねぇ。ただ、暗黙知をマネたり実践したりってーのは、わりとフツーの人間でもできるんだけど、暗黙知をただしく形式化、叙述化、論理化していくのって、じつはとーってもムズイんよ(精確には、出来る人間に出来るような環境と動機、記述する媒体を与えねばならない)。それに、それを聞いて(読んで)、さらに(概念的に)理解して、さらに理解を行いにつなげていくのって、実はそこそこ難しい。
むかしはあそこから朝倉治彦とか稲てっちゃんとか、メチエから調べ物や調べ方方面に人材が輩出していったもんだったが。。。(*゜-゜)
意外と非営利の司書よりも営利の古本屋の方に司書的な知識が残りそうな予感がするよ。