書物蔵

古本オモシロガリズム

まだらの近代

日本ってオモシロい国なんだよねぇ(・∀・`;) ってか、近代がまだらになっているというか。
特別高等警察について調べてて、さうぢゃ、基本の本を読まねばとて、百瀬さんの定番レファ本を見ていたらこんな記述が(^-^;)

 特高ナチスゲシュタポや、ソ連ゲーペーウーのような秘密警察ではなく、『職員録』に名簿の載っている公然たる行政機関であった。スパイの多用、拷問、行政執行法の濫用等は特高固有のことではなく、当時の警察としては普通のことであった。
(事典昭和戦前期の日本 : 制度と実態 / 百瀬孝 著 吉川弘文館 1990 p.127)

前段を読んで、「さうさう、そんなスゴイもんぢゃない」と思ひつつ、後段を読んで、笑ってしまった(≧∇≦)ノ
特高関係者の回想録で、GHQ特高を秘密警察みたいにいうけれど、実態はぜんぜん違うぐらいのことを書いているものを読んだ覚えがあるが、いや、実際、そうだったでしょう。そんなきちんと論理整合的にやってるトッコーではなかったでせうよ。
ぢゃあ、やってたことがそんなに清く正しいことだったかといへば、「当時の警察としては普通」な程度に拷問やら権力の濫用やら、やっていた。その意味ではフツーの警察。
戦前がよかったというのは美しいウソで、まあ平成も後期の権利や消費者意識の肥大化はコマルが、それでも戦後体制のほうがナンボかましだのー(*´д`)ノ
百瀬さんはそんなまだらの近代をしごくあっさりと記述しているところがオモシロい。

別件なれどまだらで思い出した

まだら、といへば、むかーし、同僚でトーダイを出た1種サマでヤル気もあったネーチャンと一緒に仕事したことがあったけど、まだらマトモ。
話していると、自分に都合のいいところしか認知できてないというか、まぁ、そこまでわかってて、なぜその先に行かぬと思ったり、こっちのいうこと聞くふりして聞いてない傲慢で失礼なヒトではないか、と腹だたしく感じたりしたことだったが、その後、よくよく観察してみると、無意識的に自分のワールドに整合的でない情報をシャットアウトしているだけだとゆーことがわかった。
トーダイ生にもいろいろいるからねぇ(゜〜゜ ) まあその後べつのトーダイ生にも会って――だって、三四郎は実在の人物か?と聞かれたのだヨ――それ以来、トーダイといはれるとまづハ疑ってかかる癖がついてしまったことであったが(σ^〜^)
良くも悪くも東京大学が大きすぎるのが問題なのだろうとは、竹内先生の本に書いてあったことであった。ミョーに期待したりガッカリしたりするからね。