書物蔵

古本オモシロガリズム

佐藤優氏の「『図書館司書』は出版社、書店でご奉公」を読む。

帝都高速度交通に乗ってたら目についたつり広告で、気になってた評論家・佐藤まさる氏の標記記事をやうやっと見た。

  • 佐藤優「『図書館司書』は出版社、書店でご奉公」『週刊新潮』 2012年3月1日号 pp.44-45

読後の感想は、「やっぱす。。。(・o・;)」といふもの。
なににやっぱす、かと云えば。

無料貸本屋論争で勝利したのはどっち?

無料貸本屋論争」(2000-2003)ってあったでしょ(σ・∀・)σ
アレさぁ、図書館ギョーカイ内の連中は、図書館協会(JLA)の数字がでたでた、これで客観的に説得でけた、ぐらいのことを云うモンもをったけど、わちきは、「逆だよ(-∀-;)」と思っってた。だって、実際に、図書館=貸本屋視してた人で「ああ、無罪を証明してくれてありがたい。公共図書館無料貸本屋ではなかった。誤解していた。ごめんなさい」なんて言った人、ひとりもいなかったぢゃない(。・_・。)ノ
むしろあの論争は、それを見てた人、図書館に無関係の社会人や、図書館に積極的利害を持たない研究者、評論家たちに、「図書館がベストセラーを貸し出してしょーもな」という認識を広めることになった。
そしてここにもその認識をなすったお方がひとり。

図書館は「本をつくるシステム」を援護してきたか?

佐藤氏は最初に

資本主義社会で、タダのサービスは本来ない。図書館が行っているタダのサービスが、結果として、本をつくるシステムを破壊しているのである。

という。

こういう指摘は、以前からなされているが、図書館関係者は、問題の深刻さを皮膚感覚で理解していないようだ。そこで具体的な提案がある。

とも。
といふことで図書館司書は出版者や書店でヴォランティアをせい、というのが提案。
まぁわちきとて、図書館で本を貸さないぶんだけ本が売れるとは全然おもわんし、ヴォランティーアで司書の意識改革できるとも思わんし、図書館が「本をつくるシステムを破壊している」なんて大それたことをできてるとも思わんが。
が、しかし。
「本をつくるシステムを援護してきた」とも思えないんだよなぁ。
よい(?)事例が浦安市立のブランケットオーダー論争*1
と、専門的な話はおいといて。

無料貸本屋論争で帝国図書館軍は大敗北を喫していた… という結果

ちとオモシロだったのは、実は潜在的に佐藤まさる氏は図書館のお味方になれるお方と見た(゚∀゚ )
といふのもこの記事、後段で、自分は日本の古本屋やスーパー源氏から本を買いまくっているといふ。
それは元々図書館蔵書が多いのだから、そういったストックを利用できたはずの図書館利用者の遺失利益を佐藤氏は心配するとしているが。。。
ここで注目したいのはストックとしての図書を氏が使っているとこ。
もし、氏が行き着けの立派な図書館を持っていて、そこでまったく同様の、あるいはそれ以上のストックを自由に使えるような体制がもしあれば(残念ながらそんな図書館は少ないだろうが)、氏はあるいはサカサのことを言ったかもしれない。
しかし、事態はそれはとはまたサカサなんだよなぁ(*゜-゜)

追記:JLAの台湾沖航空戦

実際さぁ、JLAの数かぞえ(客観的数値なるもの)って、ほとんど効果なかったと思うぞ。少なくともあれで説得・納得させられたのは図書館関係者だけ。無料貸本屋論争が下火になったって、それは、図書館=ベストセラー大量貸出=けしからん、という図式、ないし「結論」が一般社会に刷りこまれたままになっとるだけだと思うよ。
よく数値が数値がってギョーカイ人をネットでも見るが、『公共図書館の論点整理』にあった安井一徳論文、読んどらんのか? だとしたら不勉強もはなはだしい。
たしかに貸本屋論争の時、JLAは数値をだした。だがそれが効果があったかどうかは別物。ちやうど、台湾沖航空戦で、

部隊を出撃させまスタ! 火の玉が多く見られまスタ! 敵機動部隊は西方へ移動しまスタ!

ゆえに

わが軍は勝利しますた!

と言っているよーなもん。

作業をしますた! 客観的数値をだしますた! 議論が下火になりますた!
わが軍は勝利しますた!

あほくさ┐( ̄ヘ ̄)┌
そりゃあ作業をしたろーし、数値も出たろーし、議論も下火になったよ。
けど、全面的に敗北したの。その結果がこれ。
オペレーションしたら、それが効果を挙げたかどうかはシビアに判断せねばならん。実際、上記のように、本来なら図書ストック利用者で十二分にお味方になるはずの人物をおもいっきり敵にまわしちゃってるぢゃないの(σ^〜^)
図書館戦争は結果から考えないとねぇ(´∀` )

*1:弱小だが優良出版社の出す本なら原則一律購入するという買い方。そういった、選書における価値論を否定する要求論者から批判された。