書物蔵

古本オモシロガリズム

国会OPACが「甚だ使いづらくなった」(@猫猫先生)

出版ニュース:2012年2月下旬号に猫猫先生がこんなことを。
「凍雲篩雪とううんしせつ」pp.20-21

国会図書館が、年初に改造を行ったが、かなりひどいことになっている。(略)〔サーバーダウンは〕初動ゆえとするにしても、OPACが様変わりして、甚だ使いづらくなった。

どこが使いづらいかというと、

初期の画面が、書籍、記事などっしょくたにして検索するのがデフォルトになっていて

そこが使いづらいという。
わちきもまったく同感なるも、ネットの連中にはそこがイイと云う輩もおって、どーしたらそんな感想になるのかを考えたら、よーするに、本当に調べ物に使っていた人と、そうでない人の違いではないかと思った。
本当に調べ物に使う人はフツーのことがフツーに効率よくできることが必須なわけで、ちょっとオモシロい(けどノロい)とか、100に1つしか役立たないノイズを最初に必ず見せられるとか、ものすごくストレスに感じるハズ。
昨日の佐藤優の日本の古本屋もそうだけど、いや実際、大学に属さずに多少なりとも知的活動をしようとすれば、国会をたよらざるをえんからねぇ。大学になんらかの形で属していれば、国会がダメでも調べ物はなんとかなる。だから最終的に大学がつかえる連中は国会がダメでも逃散するかおもろがってればいいだけで、猫猫先生みたいに大学に属してない人みたいにきちんとクレームを挙げてこないという図式。

ストック使用型読書と国会図書館

佐藤優猫猫先生も古本屋の通販(日本の古本屋やスーパー源氏)を使っていることからわかるように、あるいはまた、国会ホムペのアクセスログを解析した安形先生がデータとしては出してきたことからわかるように、ストック図書使用型の読書をするニーズはあるはずなんだけど、それに図書館界はあまりまともにつきあってこなかった。
それにある程度つきあってきたのが県立図書館や国会図書館だったわけだけど、今回の国会OPAC機能切り下げ事件を見ると、国会も広い意味で、本を出しゃあ、いいでしょ、といった単純機能へ流れていると思うなぁ。
国会ホムペの言い訳文を見るにヨースルにOPACの予算を切ったということらしい。それはそれでひとつの政策ではあろうが、その前提として国立図書館から巨大な電子本貸出図書館への指向を見る思いがする。ただのサーバ置き場のイメージ。
たとえば国会の書誌データの出来上がりまでのタイムラグが短くなったのは、そりゃあ悪いことではないけれど、そんなの新刊をすぐ見たい人にしかエンドユーザ的には役立たなくて、さようなニーズには、そもそもMARCなど必要ないだろう。流通系の電子情報(読みなし著者典拠なし分類件名なし)で十分。
電子化は一般に流通の中抜きをもたらし、国会図書館はエンドユーザに電子化本を送りつけることでそれを果たそうとしているが(長尾構想を思え)、これが逆に自館の国立図書館性を忘れさせる原因ともなっているのではあるまいか。つまりすべての本があるおっきな貸出図書館であれば、他の図書館との連携も全国書誌データも直接来館者もレファレンス業務もドーデモいい、という意識になるであろう。