書物蔵

古本オモシロガリズム

批評のないものは必ず堕落する

むかーし作ったメモをみていたら、このヘンテコな冊子の内容細目がでてきた。

官庁等刊行物納本率六割:国会議員サービスに足枷
調査員の嘆息:仕事の重要性わかるが
未返納,革新系議員に多い:国会図書舘の図書利用
専門調査員:引退直前の楽隠居か
本の死亡統計:コピーが本を殺す
地方出版物:どうするかその収集
閲覧目録巡歴:『ジェーン海軍年鑑』にたどりつく
法令・議会資料:完全利用から程遠い第一級資料
国政審議公開:『会議録索引』の課題
『愛のコリーダ』:蔵書中にない理由
視障者サービス:録音テープで貸出
貴重書が危ない:お粗末な「保存」の体制
世界の本の四%:外国資料購入の実態
官庁資料の公開:まだ秘匿する官庁群
新聞切抜一二〇万枚:マイクロ化が急務
市民権なき児童書:面倒みる部課がない浮浪児
占領研究のメッカ:現代政治資料室の整備を
雑誌記事索引の意義:採録誌の大幅増望めない
閲覧体制が不備:中央出納台の内側から
閲覧者増加,地図室だが:『図書ルートはずれ』の低い位置
無神経な補修・再製本:安直な代替補修は資料価値損なう
全体見失わせる機械化:作業の細分化で労働意欲も低下
宝庫,憲政資料室:だが目録作成は一八〇文書中一三
いないはず臨時職員:機械化も「使いすて」労働力の上に

もう記憶のかなたなのだが、これは図書新聞あたりの連載記事をコピーして製本したものだったような気がする。
当時の国会図書館は、以前からの批判、磯村英一, 松浦総三編『国立国会図書館の課題』(白石書店, 1979.10. 244p)もあり、1986年の図書館協力部の成立などそれなりの改革が進んでいたと見られる。とすると、かような批判(むしろ批評といいたいが)は、単にダメな実情の吐露というよりも、ありうべき状態への建白ととらえることができるのではあるまいか。
批評のないものは必ず堕落するとわちきの友人が言っていたが。。。
よく考えると、最近、専門誌でもネットでも国会図書館に関してはホメ言説しか見当たらぬ*1。これでは中の人が増長慢というか一体なにが良くて何がダメなのかわからんよーになってしまうのではあるまいか。

*1:館長の、電子納本に関する私的構想には出版界から反対があるが。