書物蔵

古本オモシロガリズム

書評について昭和4年の記事

ブック・レビュウ (文芸年鑑昭和4年版p.304)
新刊書籍に対する批評は、従来の所謂「新刊紹介」のほかに、特に各新聞が相当に力を注ぐやうになって来たが、これは良書に交って悪書も可なりはびこってゐる今日の出版界にあって、読者の為にまことに悦ぶべき傾向である。東京の各新聞はこのため多くは「ブック・レビュウ」欄を設けてゐるが、それらの記事は、尚ほ未だ紹介的分子が多くて批判的分子が少ない感がある、これは折角かうした機運に向って来た際の一遺憾であると云はねばならない。

「書評」という語を使ってない。従来「新刊紹介」と呼ばれていたものに近似するものだとする。新刊紹介との違いは、批判の割合の多寡によると考えている。

 更にこれを文芸方面だけについて云ふならば、尚ほ多くの遺憾を見出すのである。即ち新聞雑誌に連載された長篇小説の如きは、その連載中にも別段の批評が行はれず、次いで単行本として上梓を見た後も批評らしき批評が加へられずに終るといふ場合が屡々あり短篇批評に比して甚だ片手落の傾向であると云へよう。

短編小説は、おそらく雑誌で1号分で終わるから、文芸時評(月単位で小説を批評する)で批評が加えられる場がある。それに対して、長編は、文芸時評に取り上げられない。では、完結して単行本化された際に批評される場は、それは単行本を対象とするブック・レビューの場になると指摘している。

また最初から単行本として現はれたものでも、例へば翁久允長篇小説『道なき道』の如きは各方面で相当に反響を呼んだやうであるが例へば早稲田大学文学部会編『文学思想研究』の如きは相当に重要な文献であるにも拘らず殆んど批評も紹介も行はれなかったと云ふのが現状である。
 また諸大家の推賞文を利用することも円本流行以来の新傾向であろう。

文芸年鑑は最初、大正末に二松堂というところが出し始め、それが中絶したあとに新潮社が文芸家協会と協力して結構充実したものを出した。しかし経済的なものが原因だろうか、それも中絶した。これを引きついだのが改造社による文芸年鑑。

深夜もりさんより架電

上記のエントリ、出版年鑑ではないのではとのご指摘(^-^;)
あわてて文芸年鑑に直す
ついでにありつる森さん架電にて気付いたマケプレ書誌学のところで浚ったら、100円で出版年鑑昭和8年版を拾えたことを報告。するとうらやましがられる。